こういう記事はどうなんだろうか?

『「コロナ女」「追放」山梨の感染女性、やまぬデマと中傷』

これは、5/12(火) 20:13配信記事(朝日新聞)の見出し。

 

これは、5/12(火)20:13配信記事(朝日新聞)の見出し。

これだけで、ああ、あの若い女性のことだね、とわかる。それだけでなく、まだ多くの人が苛立っているこの時期だけに、「コロナ女」「追放」なんて見出しにとったら、あのバカ女のことかと印象を改めて強めてしまう人がいるのではないか。

 

新型コロナウイルスに感染していることが判明したにもかかわらず、山梨県から東京都まで移動した女性に対し、インターネット上で激しい中傷が巻き起こった。県は重大な人権侵害として、保護対策に着手。識者は「自粛生活が続くストレスで、投稿者から冷静さが失われている」とみる。≫

 

投稿者がひどい。それは確かだ。でも、この識者はマスコミ寄り過ぎないか。

 

≪「コロナ女」「テロリスト」「日本から追放」。ネット上には中傷の書き込みがあふれている。女性とされる名前や写真、「実家を特定した」といった根拠不明の情報をまとめたサイトや動画がいくつもある。≫

 

確かにひどい。

 

≪県によると、20代の女性は4月29日に山梨県の実家に帰省。同僚の感染が判明したことから5月1日にPCR検査を受けた。同日夜に東京に戻り、2日に陽性と判明したとされていた。≫

 

そういう発表があった、という報道があった。

 

≪だが県への情報提供で、実際には女性は2日午前、陽性判定を知りつつ新宿行きの高速バスに乗ったことが判明。県がこれを公表し報道されると、女性に対する非難の嵐が起きた。≫

 

そういう発表があった、という報道があった。これを機に女性に対するバッシングが始まった。と言うか、この報道をあちこちのニュースで聞いたとき、これを機に女性に対するバッシングが始まると思った。そしてそのとおりになった。

 

≪周辺に関するデマも広がった。女性の勤務先として、都内の飲食店の名も挙がり、店はホームページで「当社関係各位に感染者は確認されていない。風評被害に関しては、法的措置も視野に厳正に対応していく」とした。≫

 

店としてはこういう対抗措置を取らざるを得ないだろう。法的措置は訴訟だろうか。難しそうだが、そう言いたくなるのはわかる。

 

≪高校の同級生は、女性が帰省後に参加したバーベキューに同席していたというデマを流された。勤務先のアパレルショップには「コロナの人がいるんですよね」と問い合わせが相次ぎ、ネットには「スタッフ教育がなっていない」「謝罪しろ」という書き込みもあった。店長の女性(47)は「デマでここまで中傷されるのは耐えられない。これ以上続けば損害賠償請求も辞さない覚悟でいる」と話す。≫

 

「デマ」で迷惑している人からすればたまらない。

 

≪感染者の幼なじみの女性もバーベキューに参加していたというデマに悩まされた。勤務先の病院に「院内感染したらどうするのか」という電話まであった。感染した女性に連絡すると、SNSをやめ、ネットは見ないようにしていると苦しい胸の内を明かしたという。山梨県警は感染者の女性に対する中傷について、立件も視野に情報収集をしている。(玉木祥子、田中正一、吉沢龍彦)≫

 

要するに、記事は、デマや個人情報をまき散らすネット上の投稿者たちだけが悪い、という。識者もこれに同調している。

 

私はネットに書き込みこそしなかったが、「実際には女性は2日午前、陽性判定を知りつつ新宿行きの高速バスに乗ったことが判明」というニュースを初めて聞いたときに、え、こんな報道の仕方をしていいのか、と驚いた。ところが、テレビは民放もNHKも同じように報道していたので、その都度、いいのか、と驚いた。

 

ニュースを聞いて、何をしているんだ、この人は、と思った人は多いのではないか。が、自分の利害関係で考えてみよう。私と女性は(おそらく)接点が全くないので、女性の行動は私には何の実害もない。女性の周囲の人たちには女性が陽性であったことからPCR検査を受けるよう連絡がなされたはずだから、報道がなくても、その人たちにとって新たな害悪が生じることはない。ほとんどの人は私と同じ立場にいる。だから、だれにとっても、女性の感染ニュースは、他のニュースと同じように聞き流してかまわない類のものだったのだ。

 

そうならなかったのは、山梨県の発表とマスコミの報道が視聴者、読者が女性に対する怒りの気持ちを煽ったからだ。

県にとってもマスコミにとっても、ここでの課題は公衆衛生の観点であるから、どのように一般に問題意識を喚起するかということだけである。女性の細かい行動や陽性を認識した時期とその後の行動などは、一般人には関係ない。むしろ、説明すればするほど、女性の落ち度が目に付き、そこから関係者以外の人たちが「女性」の無責任と思える行動に怒りを覚え、探し出したくなり、すぐに着手し、見つけ出し、本人や周りの人に嫌がらせを言いたくなり、実行し、いい加減な検索で迷惑をかける人も出て来る。時期が時期だけに、軽率な行動がわかるような公表、報道の仕方をすると、ネット上で必ずバッシングが起こる。そういう展開は十分に予想できる。だから、県もマスコミも、そのことを計算に入れた上で、公表、報道しなければならなかった。その点の問題意識が県もマスコミも不十分だったことが一番の問題だ。

自治体とマスコミがこのことに気づかなければ、今後も同じ悲劇が繰り返される。

顧客情報7万件紛失 三井住友銀行は被害者か?

口座番号など、顧客情報7万件紛失 三井住友銀行

5/1(金)12:24時事通信配信

 

三井住友銀行1日、事務機器の保守などの委託先の「OKIクロステック」(東京)が約7万件の顧客情報を紛失したと発表した。葛西支店(東京都江戸川区)の事務機器に取り付けられていたハードディスク2個をなくした。顧客の氏名や口座番号、入出金などが記録されていたが、情報は暗号化されており、外部の者は解読できないという。≫

 

「という」のは、と言っているよ、というだけのこと。

暗号化されているから「外部の者は解読できない」なんていう断定は、いまどきしない。 

暗号化していても解読されてしまうかもしれない、その危険がある、と考えるべきだ。

三井住友銀行が本気で「外部の者は解読できない」と考えているのなら、かなり問題だ。

 

≪紛失したのは、20091月~1810月に葛西支店で通帳の新規発行などの手続きをした顧客の情報。ディスクは入れ替え時にその場で初期化するルールだったが、OKI社側の独断でそのまま持ち出した。≫

 

どうしてこんな基本的なルール違反が行われるのか。

ディスクの入れ替えは銀行の建物内で行うのではないか。

ディスクを初期化するときに行員は立ち会うことになっているのではないのか。

そのチェックリストがあるのではないか。それにはどう記録されているのか。

立ち会いもいない?

チェックリストもない?

チェック記録もない?

以前からルーズな運用だったのではないか。

ルーズな運用は葛西支店だけなのか。

 

三井住友銀行は「定期的に委託先の管理態勢を確認してきたが、誠に申し訳なく深くおわびする」とコメントしている。≫

 

「定期的に」?

「委託先の管理体制を」?

「確認してきた」?

そもそも支店の現場で起こったことが発端だったのではないのか。

支店の体勢に問題があった。支店の体勢次第で被害は防げた。

そうは思いませんか、三井住友銀行さん。

 

ミニシアターを応援してください

ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金を知っていますか。

ハリウッド映画、ディズニー映画とちがって、お客が集まらない映画ばかりを上映する映画館(少し時期を外してメジャーな映画を上映することもなくはないが)。それがミニシアター。だれでも彼でも観てほしいという作り方をしている映画ではないだけに、作り手の人たちの思いがはっきり伝わって来る。ニュースや書籍ではわからなかったことを教えられることが多い。生きていく上でとても意義がある存在だ。

わたしがよく行く千葉劇場(千葉市)は、110席の客席にいつもがらがら。客数は多くても30人くらい。大抵は十数人から二十数人。少ないときは数人。当然、収益は小さい。よくやっているよな、と驚きつつ、よくやってくれているなあ、といつも感謝している。

こんな状態だから、人と人の間隔を空けるという新型コロナウィルス対策は、新型コロナウィルスが社会に認識されるずっと以前から実行してきたのに、いま、休館せざるを得なくなっている。もともと少ない収益がゼロ! いつ復活できるかわからないままでの休館はいつ閉館になるかわからない。それは、ミニシアターがあれがこれからも得られるであろう多くの「財産」を誰も手に入れられなくなるという危機なのだ。

と思って、昨日、ネット上で見つけた、ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金に参加した。

ミニシアター映画が好きな人。どうぞミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金に参加してください。

ミニシアターを見たことがない人も、きっと幾度か見れば、きっと好きになります。ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金に参加してください。

 

臨終に立ち会えなくても臨終を知らせる意味

新生コロナウィルスが蔓延しつつある時期だけに、いま、病院は「万全の体勢」で日々業務に従事しているんでしょうね。

 

病院は様々な病気を持った身体の弱った人たちが集まって来る空間なので、いつも感染症の宝庫です。通院患者が新たな病気をもらって家に帰るということは日常的な出来事なのかもしれません。それがほとんど問題にならないのは、通院患者も入院患者も医療従事者も一定の免疫力を持っているからでしょう。

 

だから、新たな感染症には弱い場所です。通院患者も入院患者も医療従事者も同じ危険に晒されています。新型コロナウィルス問題はこれまで人類の歴史に類例のない大事件です。病院が病院内の人たちの安全と医療体制の維持のために最大限の努力をしようとするのは当然です。病院とすれば、「俺達は必死でやっている。この苦労が外の人間にわかるか」という心境かもしれません。

 

しかし、何週間も家族にも友人にもだれにも会わせてもらえないまま亡くなった友人の父親、何週間も面会謝絶で臨終にも立ち会わせてもらえず、臨終を教えてさえもらえず、不安な日々を送っていた母親は、どれほど心細かったことでしょう。それを気遣う子どもたち。突然の訃報に、どうして夫の、父親の死に目にも会わせてくれなかったのか、どうして死ぬまで何も教え得てくれなかったのか、という不審と怒りが生じてもおかしくありません。

 

病院スタッフ全員が必死だということはわかっている。なのに納得ができない。どうしてこんなふうにこじれてしまうのか。問題は病院側からの情報発信のあり方にあるのではないでしょうか。

 

友人の父親が入院したときに新型コロナウィルス問題はすでに日本でも起こっていました。ただ、まだ深刻さは中国やEUに比べて低い状態でした。

それでも、病院として新生コロナウィルスの感染(拡大)を防ぐ方針を立てて、家族や知人など外部からの訪問に関する制限を従来と異なるルールですでに行っていたのかもしれません。そうであれば、どのように変えたのかを事前に家族に説明すべきです。

入院後に変更したのであれば、その時点で家族に面会のルールが変わったことを説明すべきです。外部の者の面会を認めないようになったのであれば、入院患者の日々の容体をだれにどのように知らせるかを決めておいて、実行すべきです。その報告があるだけでも、会えない家族は入院している家族を心の中で励ますことができます。

 

入院患者が臨終になったときでも面会を認めないのであれば、臨終状態になったことをだれに知らせるかを事前に決めて、実行すべきです。臨終になっても会えないのなら意味がないから教えないと考えて、病院は臨終を教えないことにしたのでしょうか。

そもそも臨終の患者の周りに人が集まることに何の意味があるのでしょうか。いくらたくさんの人が集まっても臨終の人が生き返るわけではありません。それがわかっていながら、人はなぜ臨終の場に立ち会うのでしょうか。生から死へ移っていく時間を死にゆく人と共に過ことに何か特別な意味があると感じているからなのではないでしょうか。

それは場所が離れてしまったら無意味になってしまうのか。そうではないのではないでしょうか。家族が病床で臨終状態にあるということをリアルタイムで知らされるだけでも、離れた場所から、死ぬまでの時間を心の中で共に過ごすことはできるはずです。そこには当事者だけにわかるなにがしかの意味があります。

対「村中璃子」裁判が終結しました

2020年3月7日、東京高裁から封書が届いた。

開封すると、出て来たのはごく簡単な書面だった。

医師・ジャーナリストを自称する「村中璃子」さんが東京高裁判決で池田修一信州大学医学部教授に「勝って」いながら、これに「不服がある」として上告、上告受理申立をしていた件で、東京高裁が、「勝っているのだから、上告の利益、上告受理申立の利益がない」という理由で、最高裁に裁判記録を送ることなく、裁判を終わらせたという決定通知だ。

これで、2016年8月に池田さんが「村中璃子」さんらを被告に起こした名誉毀損訴訟が全面的に終わった。

 

1年前の2019年3月26日に東京地裁が出した原告の全面勝訴判決に出版社のウェッジ社と編集長の大江紀洋さんが従って賠償金を払い、謝罪広告を出したりしたことで、裁判は実質的に終わった。それでも、「村中璃子」さんは控訴し続け、高裁で「勝った」のに、「勝ち方」が気にくわないと上告、上告受理申立をしていたのだ。

 

「村中璃子」さんは、名誉毀損不法行為が成立しないという理由で勝ちたかったようだが、高裁はそれを否定し、ウェッジ社が被告の敗訴分の債務をすべて履行していることを理由に「村中璃子」さんは「もう払わなくていい」という当たり前の「勝訴」判決を書いた。わかり切ったことだ。それを、あえて判決を求めるとは。

 

「勝った」のだから、「村中璃子」には上告の利益、上告受理申立の利益がない。上告、上告受理申立を受け付ける高裁がそう判断することは十分に予想できたはずだ。少なくとも弁護士には。それでも上告、上告受理申立をした。

一体、何のための、だれのための控訴、上告、上告受理申立だったのか。だれにとってどのような意味があったのか。弁護士費用だってかなりかかったはずだ。

 

「村中璃子」さんは、3年8カ月の裁判の間、ついに本名も住所も生年月日も明らかにすることはなかった。裁判でさえ本名を隠し続けた「村中璃子」さんは、今後も「村中璃子」の名前で言論活動を続けるのだろう。それは社会的に責任ある言論なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

小泉進次郎氏は民主主義が嫌い?

毎日新聞2019年12月28日

スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさん(16)に対する小泉進次郎環境相の発言が波紋を広げている。小泉氏はグレタさんらの活動について「大人たちに対する糾弾に終わっては未来がない」とし、地球温暖化対策への取り組みは全世代を巻き込むことが重要だとの認識を示した。これに対し、賛同意見がある一方で、「具体案を一つも出さない大人が国際的な活動をしている子どもを説教している」などと批判も噴出する事態に。気候変動への危機は「世代間対立」を深めてしまうのだろうか。

 小泉氏は20日の記者会見で「大人を糾弾するのではなく、全世代を巻き込むアプローチを」と強調。」

「大人を糾弾するのではなく、全世代を巻き込むアプローチを」という小泉進次郎氏の言い方は、敵対者に勝てない側がよく使うレトリックだ。グレタさんの口封じと、グレタさんの言葉に耳を傾けるなという世界へのメッセージ(世界は相手にしないだろうが、日本国内では「さすが!」という小泉ファンからの声が出るのだろう、きっと)が狙いだ。この言葉には問題の解決の具体策は何も示されていない。それなのに、小泉進次郎氏の方がグレタさんより「上」という錯覚を与える。

小泉進次郎氏の言い方を逆にすると、「全世代を巻き込むアプローチがないのに、大人の糾弾をするな」になる。グレタさんには「全世代を巻き込むアプローチがない」のはそのとおりだろう、と言うか、だれにもないのだが。だれにもできそうにないことを条件にして、それをしないで大人を糾弾するな、というのは、端的にいえば、「グレタ、黙れ!」なのだ。

世界中で目立っているグレタさんを名指しでこういうレトリックを使って口封じをしようとする、いつも目立つことばかり考えている小泉進次郎氏は民主主義(「他人の声に耳を傾けよう」)が嫌いらしい。

 

「村中璃子」氏が「勝って」悔しがる東京高裁判決の中身

 10月30日、とても???な判決言い渡しがあった。

 弁護士人生でなかなか体験することがない判決の言い渡しを受けた。わたしのちょっと不思議な体験を解説する。

 

 発端は、月刊誌『ウェッジ』2016年7月号に、「村中璃子」という名前で、池田修一氏の厚労省研究班での研究に「捏造」行為があるという記事が掲載されたこと。

 

 池田氏は、研究に捏造行為などなく、記事は名誉毀損だと主張して、株式会社ウェッジ、当時の編集長の大江紀洋氏、「村中璃子」という名前で記事を書いた女性の三者を被告として、2016年8月、東京地裁に訴えを起こした。

わたしはほか2人の弁護士と池田氏の訴訟代理人を担当した。

 

 被告側の代理人は、ウェッジ社と大江氏は同じ弁護士がつき、「村中」氏は別の弁護士がついた。この時点からすでに被告側の方針に明確な違いがあることが読み取れた。同じなら会社の顧問弁護士にお願いした方が弁護士費用がかからなくて、フリージャーナリストとしては経済的にも助かる。「村中」氏は最初から出版社と編集長とは違う道を選んだ。

 

 提訴から約2年半。2019年3月26日、判決言い渡し。

 東京地裁は、「捏造」との記述は真実とは認められない、裏付け取材も不十分で「捏造」と信じた「相当な理由はない」として、池田氏の主張を全面的に認め、ウェッジ社、大江氏、「村中」氏に対し、連帯して、池田氏に合計330万円の慰謝料の支払うことのほか、ウェッジ社に対して月刊誌『ウェッジ』への謝罪広告の掲載と、ウェブ記事の一部削除を命じる判決を言い渡した。

 

 勝訴した池田氏と、敗訴したウェッジ社と大江氏は判決を受け入れて、控訴しなかった。ウェッジ社は、判決で命じられた慰謝料全額を池田氏に支払い、月刊誌『ウェッジ』に謝罪広告を掲載し、削除を命じられたウェブ記事の削除を実行した。

 

 地裁判決が命じた支払い等をウェッジ社が実行したことで、池田氏のウェッジ社、大江氏、「村中」氏に対する法律上の請求権は消滅した。大江氏と「村中」氏は池田氏から改めて請求されることはなくなり、判決に基づいて強制執行されるおそれがなくなった。だから、大江氏も「村中」氏も、池田氏からの請求を防ぐために控訴する必要はない。

 

 なのに、「村中」氏は東京高裁に控訴した。自分が記事を書いたウェッジや編集長だった大江氏から、ウェッジ社が敗訴内容を全部履行する予定か、した結果を聞いているのではないか。控訴して数十日経ってから開かれた口頭弁論期日になっても、「村中」氏が、ウェッジ社が一審判決で負けた債務を全部履行していることを知らないと言い続けたのには驚いた。

 

 高裁の口頭弁論期日は8月28日に1回開かれただけで結審した。裁判長は、次回期日は判決を言い渡すと告げた。それが10月30日。

 

 判決主文は、原判決主文の「村中」氏の敗訴部分を取り消した。が、理由は先に書いたとおり、ウェッジ社が全部支払を済ませているから、もう払わなくていいんだよと言っているだけだ。当たり前のことだ。

 

 逆に、控訴された池田氏に“お土産”をくれた。判決理由で、一審と同じく、本件各記事により池田氏の名誉が毀損され、「村中」氏の不法行為が成立し、その損害額も330万円であると、再度、明確に認定してくれたのだ。「村中」氏が高裁でした主張も悉く排斥した。一審判決をさらにダメ押しした形での、池田氏の実質的な全面勝訴の内容だ。

 

 判決主文で「勝った」「村中」氏は最高裁に上告できない。自衛隊イラク派遣差止訴訟の名古屋高裁判決が出たときの国の立場にちょっと似ている。