鈴木宗男参院議員の持論について
デイリースポーツ 2022/10/21 20:13
日本維新の会の鈴木宗男参院議員が21日、自身のブログを更新。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が、自民党所属の国会議員に「推薦確認書」に署名を求めたとされる問題に関して、「大きく報道されているが、問題視されることだろうか」と疑問を投げかけた。
鈴木氏は「選挙の際、さまざまな宗教団体はそれぞれ推薦や支持を打ち出す。共通の価値観、考えがあってのことではないか。旧統一教会に限ったことではないのに、どうして差別的とも受け取れる報道になるのかと不思議に思う」と持論を展開した。
さらに「例えば、憲法改正反対の宗教団体が自民党候補者を推薦しているケースもある。勿論、憲法改正推進の宗教団体がそれぞれ推薦している例もある。当然の事を何か問題だと扱う、扱われる状態、状況に、何か腑に落ちない」とつづった。
続けて「合わせて『公正、公平を旨として』と普段強調している政党、政治家が、一方的な判断で批判をする事に釈然としない。これで良いのかと自問自答する次第だ」と述べた。
「信仰と政治倫理の問題は全く別の問題である。いわんや霊感商法、詐欺まがいの悪徳商法に宗教団体が関係することは言語道断である」と反社会的な行為は別と断りつつも、「その上で問題をきちんとわけて議論すべきではないか。興味本位の取り上げは、良い事ではない」と持論を述べた。
実はわたしも鈴木議員と同じようなことを考えた。つまり、自分(の所属する政党)と同じ考え方の団体を推薦するのは当たり前ではないか、と。
この部分は鈴木議員と同じだ。
しかし、反社会的な行為は言語道断だが、「問題をきちんとわけて議論すべきではないか」という部分には異論がある。
まずは2つをわけて考えるのはいい。だが、わけたままではいけない。分けて考えた上で、反社会的活動をしている団体が自分(の所属する政党)の基本政策と同じ考えであれば、推薦していいのかという問題設定をする必要がある。
旧統一教会が自民党の基本政策を提案しているなら、それだけで大問題だが、そこまでは言えないのではないか。そうではなく、旧統一教会が自民党の基本政策と同じ考え方を持っているというのはポーズで、実は反社会的活動をするために自民党の基本政策と同じ考え方を持っていると標榜しておいた方が活動しやすいということですり合わせているのだとすればどうか。自民党議員としては反社会的活動を推奨するつもりはないとしても、旧統一教会は自民党議員から推薦してもらっているという宣伝を前面に出せる。それは、旧統一教会が本来狙いとする活動をしやすくための“小道具”として大いに機能するだろう。
鈴木議員が2つを分けて考えるべきだというのはいいとしても、その上で両者の関係を考えなければ、問題の本筋から外れることになるのではないか。
安倍元首相が殺害されたことについて警察に法的責任はないか
安倍晋三元首相が殺害された事件では警察の対応の落ち度が話題になっているが、ここでは過失責任としての落ち度を考えてみたい。
2010年11月4日午前4時過ぎ、「夫が殺される!」と訴える妻の110番通報で秋田市内の弁護士宅に駆けつけた長身で屈強な二人の警察官の目前で夫(弁護士)が身長の低い高齢男性の侵入者に手製の凶器(剪定鋏を解体した片刃)で殺害された事件の国賠訴訟での警察(秋田県)の主張からすると、落ち度はない!
警察相手の国賠訴訟では、警察の言い分は、常に、そもそも警察官には個々の市民との関係で法的な保護義務がないというところに立っている。
警察官職務執行法第4条では、「警察官は、人の生命若しくは身体に危険を及ぼ・・・す虞のある・・・危険な事態がある場合においては、その場に居合わせた者、・・・その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、危害を受ける虞のある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、若しくは避難させ、又はその場に居合わせた者、・・・その他関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置を・・自ら・・・とることができる。」と規定している。
秋田事件の原告は、これは警察官の権限を規定しているだけでなく、実際に市民が危険な場面に遭遇しているときは警察官は危険を回避するための行動をとる法的義務があると主張した。
これに対して、県(警察)は、法律は警察官の権限を規定しているだけで、市民との関係での法的な義務を規定しているのではない。警察官は110番通報で駆けつけたのは通信指令課指令室の命令に従って出向いたのであって、110番通報した市民やその家族との関係で避難させる義務が発生しているわけではない。だから市民が警察官の目前で殺害されたとしても、被害者との関係で警察官の法的な保護義務違反という問題は生じない。
この言い分は、被害者が安倍元首相であっても基本的に同じはずだ。
県(警察)は、市民に具体的に生命の危険が発生している場合にはその市民との関係で保護義務が発生するのだとしても、犯人が剪定ばさみを解体した凶器を持って来ていたことを警察官は事前に知らなかったし、気づいたのは弁護士がまさに刺されそうになった瞬間だったから弁護士を避難させる時間的余裕はなく、避難させる義務はないと主張した。
秋田地裁判決(2017年10月16日)は、具体的な危険が発生している場合には保護義務が発生するとしたものの、警察官が到着してから凶器で刺されるまでの時間が2分25秒しかなかったから、防ぎようがなく、弁護士を避難させることができなかったとしても過失はないとした。判決は、秋田県では殺人事件がほとんど発生しないことから警察官が慢心するのもやむを得ないとまでいい、警察官の過失を否定した。
このとき現場にいた二人の警察官の法廷証言によると、二人とも現場対応に問題があったとして懲戒処分を受けていないし、翌日以降もそれまでどおりに勤務していたとのことだから、警察組織内の評価では二人の警察官に特段の問題はなかったということだ。
これを今回の事案に当てはめると、安倍元首相の命も法的には個々の市民の命と同じだから、警察官は警察組織の職務命令によって安倍元首相を守っているだけであって、安部元首相との関係で保護義務(危険から避難させる義務)を負っていたわけではない。
ただ、安倍元首相にはSP(Security Police)、警視庁警備部警護課の要人警護任務専従警察官が一人ついていたようだが、この警察官も安倍元首相との関係で法的に保護義務を負っていないのだろうか。
安倍元首相に具体的に生命の危険が発生している場合には、近くにいる警察官に安倍元首相との関係で避難させる義務が発生するとしても、安倍元首相を殺害しようとしている犯人が手製の拳銃を持っていたことを現場にいた警察官はだれも事前に知らなかった(気づかなかった)。具体的に生命の危険が発生していることに気づいたのは安倍元首相が撃たれた後であったから、避難させようがなかった。
秋田地裁判決の考え方だと、安倍元首相が狙われ、安倍元首相を外した1発目の弾丸が発射されたときと安倍元首相に命中した2発目の弾丸が発射されたときの間は約3秒しかなかったということだから、防ぎようがなく、避難させるための行動をとらなかったとしても、警察官には過失はなかったということになる。奈良県では毎年何件くらいの殺人事件が起こっているのか。発生件数が少なければ、それも警察官に過失がなかったと評価する重要な事情になる。
仙台高裁秋田支部判決(2019年2月13日)は、警察官は110番通報で駆けつけた時点から110番通報した者やその家族との関係で避難させる義務を負っており、本件ではいくつもの段階で弁護士を保護することができたのに、失態を重ねたとして、警察官の過失を認定した。
高裁判決では原告は逆転勝訴しているが、原告が最も問題にしていたのは現場に来た警察官よりも通信指令室の対応だった。現場の警察官の誤った対応は通信指令室の警察官の対応にこそ問題があり、それが事件現場に臨場する警察官の意識と行動に連動し、一連の行為として過失があると訴えた。
午前4時過ぎ、妻が110番通報したときの受理担当警察官は、必死に助けを求める妻に対して、繰り返し住所や氏名を聞き直し、挙句に「旦那さんはいないんですか」とばかな質問をして妻を苛立たせた。指令担当警察官は妻の訴えを聞いているにもかかわらず、現場に向かう警察官らに「喧嘩口論事件、発生」と伝えた。午前4時過ぎで勤務に疲れている警察官は「喧嘩口論」と聞いて、大した事件ではないと受け止めたに違いない。二人の私服警察官は無言で勝手口から上がり込むと、侵入者から拳銃を取り上げた弁護士を無言で抑え込み、直後に侵入者が弁護士の左胸部を凶器で正面から2度、刺し、2度目の刺突が致命傷となって弁護士は死亡した。この間、二人の警察官はずっと無言のままだった。弁護士に「逃げろ!」と言うでもなく、侵入者に「止せ!」と怒鳴るでもなかった。
指令担当警察官の軽微な事件であるような言い方こそが、事件現場に向かう警察官らの慢心を生み、それが現場に立ち入ったあとの警察官らの落ち度の積み重ねに繋がったことは明らかだ。
しかし、地裁判決も高裁判決も、通信指令室の対応には問題はなかったと評価した。
安倍元首相が銃撃を受け殺害された事件では、犯人に撃たれたときの警備体制に問題があった。そもそも360度開けた場所で安倍元首相が台の上に上がって数分間立ち尽くすという状況を警察として認めることが極めて危険だったのではないか。その場合、安倍元首相が360度どこから狙われても守れる体勢を作っていたか。SPは安倍元首相の真後ろに立って反対方向を警戒するという立ち方をしなかったのか。犯人が比較的近い位置から1発目を撃とうとしたときにそれを制止できるよう警察官を配置しなかったのか。1発目の弾丸が安倍元首相を外れたとき、すぐに安倍元首相を伏せさせる警察官を配置しなかったのか。
秋田事件の弁護団の考え方からすれば、このようなことも警察の過失として問題にすべきことになるが、警察の考え方ではもちろん、秋田地裁、仙台高裁秋田支部の判決の考え方では警察の過失として問題にならない。このような警察の主張や裁判例の積み重ねが警察の市民に対する責任意識を弱めている。
その延長線上でみると、判決で負けたわけでもないのに、警察庁がいま落ち度として認めているのは極めて異例だ。多くのマスコミや一般市民が撮影しているなかで安倍元首相という著名人が幾人もの警察官がいる場であっという間に殺害されたことに、何の落ち度もないという弁解がしにくかったからだろう。また、その落ち度もあくまで警察組織内の仕事のありようとしての落ち度であって、安倍元首相の命との関係で法的な責任(過失責任)があるというものではないだろう。
これまでの警備公安事件では、安倍元首相が話しているところを前方からヤジるような事案ばかりだった。それが今回は背後から拳銃で撃つというものだった。警備警察が注意を払うべきはどちらなのか。どちらに重点を置くかで、警察官の配置の仕方、配置された警察官が注意すべきことは全く違ってくる。
安倍元首相銃殺事件が、日本の警備警察活動のあり方の根本的見直しを迫っていることだけは間違いない。
元首相の警備体勢のどこが問題だったかを考える
7月8日、安倍晋三元首相が銃で撃たれる事件が発生した直後から、その場面のスマホ動画がテレビでもインターネットニュースでも流れていた。
画面では、元首相が応援演説をしているところから始まり、1回目の爆発音(発射音)が聞こえ、元首相が後ろをふり返り、直後2回目の爆発音(発射音)が聞こえた瞬間、画面が大きくブレ、安倍元首相は画面に映らなくなった。
もう少し広い範囲が映っている画像では、元首相のすぐ後ろにいた人たちも一斉に後方を振り向いている。そして元首相が倒れたのを見て、近くの人たちが駆け寄り、安倍元首相を撃った男に駆け寄って捕まえる人が1人、2人。
俯瞰した場面を見て驚いた。元首相の背後がガラガラに空いているのだ。背後から狙われる。で、元首相の警備はどうなっていたのかがとても気になった。
9日朝刊の毎日新聞で、警備経験が豊富な現職の警察幹部が「演説の映像を見た限り、制服警察官が少なく、不審者が近寄れるスペースが広く空いていたように見える。通常なら考えにくい。」と言っているが、まったく同感だ。
そして、記事には、「街頭演説における警護の場合、一般的に候補者の前方に集まった聴衆に過激な抗議者がいないかを重視する。」とあるが、この「重視」がそもそもの間違い。前方にいる「過激な抗議者」は、ヤジるか、批判的な横断幕を出すか、卵を投げつけるかくらいのことしかしない。講義された側の命には別状はない。こういう輩は放っておくか、主催者が制止を求めれば足りる。警察が出る必要はほとんどない。
問題は背後だ。
記事は、「後方にスペースがあれば、警戒する警察官を多く配置して不審者の接近を阻止するのが不可欠だ。『隙間をつくらないのが警備の基本なのに』と警察幹部は今回の対応に首をかしげる。」とある。
駅前の歩道と応援演説をしていたスペースの間を車が走っていたから、ここを警備で埋めることはできなかった。それは仕方ない。しかし、それで背後の警備はいらないかとなると、そうではない。日本は拳銃の所持が法律で禁止されているから背後から拳銃で撃つ人はいないという前提で警備を考えていたのだとすれば、何ともおめでたい。警備としての実を成していない。目的を達成するためにどこかで拳銃を手に入れる人はいる、と考えた方がよい。現に、2010年11月、秋田市内で起こった弁護士刺殺事件では犯人は暴力団関係者でもない高齢者だったが、手にいれた拳銃で弁護士を撃とうとした場面があった。
拳銃で撃たれる可能性を考えると、車が走る道路を挟んだ歩道側に警備は必要だった。
奈良県警はここにどれほどの人数の警察官を配備していたのだろうか。
それと警備警察官が向いている方向が問題だ。
警察官は全員、元首相を背にする姿勢で周囲を監視していたか。警察官の役割は不審者の発見と、その者が危険な行動をとらないかどうかを判別し、制止することにあるから、全員が元首相を背にして周囲の人々を見ている必要があった。
歩道でこの警備をしていれば、今回の事件の被疑者が何か大きな黒い物を持っていることに気づき、犯行を開始する前に声を掛けることも可能だったかもしれない。
1発目は元首相に当たらなかった。2発目の前に被害を防ぐことはできなかったか。
1回目の爆発音(発射音)が聞こえ煙が立ち込める。2秒ほどして2回目の爆発音(発射音)。この2秒間に警察官は何をしていたのか。
1回目の爆発音の直後に元首相に体当たりして伏せさせた警察官はいなかった。それは柵の中に警察官がいなかったからだったのか。元首相のすぐ背後に歩道側を向いている警察官がいれば、真正面で起こった異常事態に反応して、元首相をその場に倒す動作をしたに違いない。そうすれば、元首相は転んだ怪我だけで済んだ。
しかし、残念ながら、そこにはそういう警察官がいなかった。
そうだとしても、歩道にいて元首相に背を向けて通行人を監視していた警察官は、目の前にいる被疑者が拳銃を構えるのをみて止めるか、1発目を撃ったところで飛びついて止めるかしていれば、2発目の発射はなく、元首相は死亡どころか怪我も免れた。いや、目の前の警察官にずっと見られている被疑者は撃とうとすることさえできなかったのではないか。
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今日、札幌地裁で、警察官の証言の信用性を否定して、原告の慰謝料請求を認める画期的な判決があった。市民が警察相手(手続上は都道府県が被告になる)に起こす国家賠償請求訴訟で勝つことはめずらしいのだが、画期的なのは勝ったことではない。原告と被告で主張が異なる事実経過について、裁判所が、原告が事件当時、記録していた録画と音声を証拠として採用して、これと、原告の証言、原告に関わった警察官らの証言を比較して、原告の証言が録画と音声に合致しているとして、警察官の証言の信用性を否定し、原告の証言を事実と認定したことである。
この点だけをみると、警察の失態が露見し警察が負けたことがニュース、つまり、社会的に意味があるようにみえるかもしれないが、そうではない。
警察官の日常業務は日々、未知の人々との遭遇である。警察官の方が却って被害を受けることもなくはないだろう。しかし、はっきりした客観的な証拠がなければ、警察官と言えども、相手こそが粗暴な行動に出た加害者で自分は被害者だという証明がしにくく、泣き寝入りしなければならなくなることもあるだろう。
それが、この事件のように市民と警察官の動きや周囲の状況が継続的に可視化され、そのときの音声もわかるようになっていれば、手堅く適法に活動をしていた警察官は自分には問題がなく、相手市民にこそ問題があったということを簡単に証明できる。アメリカではすでに地域活動をしている警察官がウェアラブル端末を身に着けて地域を移動することになっており、これにより、警察署から現場の警察官の動きがリアルタイムでわかり、リアルタイムで助言することができる。新人の警察官もリアルタイムで警察署の助言、指示を受けることができ、問題が起こりにくくなる。警察官が対応していた市民側にこそ問題があったなら、そのこともすぐに確認できる。現場の警察官は、現場にいなかった上司に対して、面倒な弁解をするまでもなく、画像と音声で自分の職務活動の適法性を説明できる。
このような撮影は、事件性のない一般市民との関係ではプライバシー侵害になる可能性がないわけではないが、事件性がなければ短期間のうちに廃棄するということを制度化しておけば、プライバシー侵害性は低くなる。
敗訴判決を受けた北海道が控訴し、やがて逆転勝訴することがあったとしても、この判決が示した事実認定の仕方は、今後、他の裁判所でも採用される可能性は十分にあるから、警察活動の実務に影響を与える重要な判決である。
警視庁の機動隊員、拳銃で自殺?
7/8(水) 11:18配信(讀賣新聞オンライン)
「8日午前3時半頃、東京都千代田区富士見の路上で、警視庁第5機動隊の男性巡査長(25)が頭から血を流して倒れているのを通行人が発見した。巡査長は病院に搬送されたが、意識不明の重体。頭部に銃弾が貫通した痕があり、近くに拳銃が落ちていた。警視庁は、貸与の拳銃で自殺を図ったとみて調べている。 麹町署幹部によると、巡査長は7日朝から近くの在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部周辺で警戒勤務中だった。」
状況からして事故はあり得ない。他者による殺人事件も考えにくい。自殺にほぼ間違いない。
警察官が自殺するときに警察から貸与されているけん銃を使うという選択をすることは、警察官の上司、警察組織に対する明確な意図を含んでいる。
自殺するほどの悩みを抱えていたことを、周りの警察官がだれも気付かなったとは考えにくい。だれも相談に乗ってくれなかったか。それどころか、だれも(鈍感で?)気付かないような職場だったのだとすれば、この巡査長の職場での人間関係はそんなものなのだろう。そういう職場では、上司が、自殺に追い詰められるほど悩んでいる警察官にけん銃を貸与している。
『マイナンバーと口座ひも付け法案』の怪!!
≪マイナンバーと口座ひも付け 今国会に法案 自民方針、情報流出の懸念≫
2020年5月21日 朝刊 東京新聞
≪自民党は二十日、マイナンバーと預貯金口座をひも付けして管理し、緊急時の現金給付の際に活用するための議員立法を今国会に提出する方針を固めた。新型コロナウイルス感染拡大で、全国民に一律十万円を支給する「特別定額給付金」では、マイナンバーカードを使った電子申請の混乱や遅れが相次いでいることを受け、今後新たな現金給付手続きが必要な場合の迅速化を図るとしているが、識者からは個人情報の流出などに懸念の声が上がる。≫
どうして現場の自治体が混乱しているこの時期に与党の国会議員からこんな法案が出て来るかなあ。全国の市区町村から要請があったとはとても思えない。現場(自治体)に負担がかかる仕組みを国で作る場合、現場となる自治体にはっきりしたメリットがなければ駄目だ。その点、マイナンバー制度には、運用する自治体に負担がかかるばかりでメリットらしいメリットがない。法定受託事務だから、「必要経費は一応国が出すけどね」という程度ことだから、特に経済的に貧しい自治体してみれば、「できればほかのことでお金が欲しいんですけど」なのだ。そういう実情を全国各地から選ばれてきているはずの国会議員が知らないとは困ったもんだ。
≪自民党のマイナンバー活用プロジェクトチーム(PT)の提言によると、特別定額給付金の振込先として市区町村で登録した金融機関の口座番号や連絡先といった情報を、本人同意を前提にマイナンバーとひも付けて国が登録・管理できるようにする。
法案の付則には、マイナンバーと口座番号のひも付けの義務化についても検討し、今年中に結論を出すよう明記する。
PT座長の新藤義孝元総務相は「利用者視点に立った観点からの改善が必要。マイナンバーと口座をひもづけるのは長年の課題で、促進すべきだ」と話す。≫
給付金の支給を少しでも早めるのだったら、市区町村が口座を把握しているだけでいい。現に今回のことで、市区町村は今後も給付金を送金することがあるかもしれないと考えて、「住民」から振込口座の再利用の同意を得て登録するようにしている。「住民」からすればそれだけで足りる。
それを自民党議員は、「特別定額給付金の振込先として市区町村で登録した金融機関の口座番号や連絡先といった情報を、本人同意を前提にマイナンバーとひも付けて国が登録・管理できるようにする」のだという。わけがわからない。個人のメリットが何も見えない。そんなものをどうして国会議員が進めたがるんだ。国会議員自身にはメリットがあるということか。そんなことでこんな制度を作ってもらっては困る。
本人同意を要件にするとしても、同意をとるときには、これこれこういうメリットがあるんですよ、お得でしょう、という説明ができなければ、誰も乗って来ないことは目に見えているではないか。
それにいろいろな事情で口座を変更する人はいくらでもいる。いつ変更するかも本人の都合だ。その都度、本人は口座変更を市区町村の届け出て、市区町村は国に通知するということをしなければならない。本人が届出を忘れることだってある。国に登録していることなんて、それで具体的なメリットを日常的に受けていないかぎり忘れる人は無数に出て来る。今後ますます高齢化社会になることだし。
そんなことより、特定の番号の「個人」の口座に世帯家族全員の給付金が入る仕組みこそが問題だ。個人番号制の採用は、行政が個人単位で人々と向き合うことを原則化することを意味している。そうであれば、家族主義よさようなら、世帯単位よさようなら、ついでに戸籍よさようなら、が個人番号制度のあるべき方向性だ。家庭内暴力やDV被害の悪化状況があり、いまは大丈夫な世帯でも次の給付金のときは世帯主に送られては困るという事態になっているかもしれない。その変化は日々どこかで起こっています。個人番号なら個々人の口座に振り込めという制度運用こそ意味があることだ。あ、この場合もマイナンバー制度は直接関係ないけどね。
要は、マイナンバー制度はやっぱりいらないみたいだね、ということなのだ。
≪マイナンバーは社会保障と税、災害対策の三分野で利用されている。
現金給付に活用するためには、新たな法整備が必要となるが、口座番号を連結されることに関しては、個人情報流出の不安や国に資産状況を把握されることへの抵抗感が広がる可能性もある。≫
「社会保障と税、災害対策の三分野」なんて立法時にマスコミを味方につけるためのお題目でしかなかった。マスコミはみごとにこのお題目に乗っていた。災害時にマイナンバー(カード)が有効に機能するという仕組みがわからない。東日本大震災のような事態になって、自治体も金融機関も社会全体が大混乱に陥っていたら、マイナンバー(カード)制度があっても意味ないでしょ。そういうときの個々人の保護や救済はマイナンバー(カード)のあるなしじゃない。一人の人として保護や救済をすべきかどうかだけの現場にいる人々の判断なのだ。
≪専修大の山田健太教授(言論法)は「マイナンバー制度自体が未完の状態で、個人情報のコントロールが実現しているとは言い難い」との懸念を指摘。
マイナンバーカードの普及率は16・4%(十日現在)にとどまっているため、自治体情報政策研究所の黒田充代表は「新型コロナ対応には間に合わない。制度の問題を検証した上で、時間をかけて議論するべき話だ」と話す。≫
黒川検事長、産経・朝日記者らと「賭けマージャン」!
5/20(水) 20:04配信(讀賣新聞)
≪「週刊文春」の電子版は20日、黒川弘務・東京高検検事長(63)が緊急事態宣言下の今月中に、産経新聞と朝日新聞の記者らと賭けマージャンに興じていたとする疑惑を報じた。≫
検察権力とマスコミ(記者)の癒着。紙面では検察庁法の改正について書きっぷりが正反対の産經と朝日の記者が一緒に卓を囲んでいるというのが、現場の人間関係はこんな感じなんだよと、リアルな人間関係を示していて、とてもいいです。紙面は紙面、人は人。
≪電子版は、「接待賭けマージャン」の見出しで、黒川氏が1日夜から2日未明と13日、産経、朝日の記者らと、産経記者の自宅マンションでマージャンに興じたなどとする内容。産経関係者の証言として、黒川氏が以前から賭けマージャンをしていたとも記している。≫
ときどきやっているんでしょうね。
≪黒川氏は1983年に検事任官。法務省の官房長や次官を歴任し、昨年1月、東京高検検事長に就いた。今年2月に63歳の定年を迎える予定だったが、直前の1月末、政府が半年間の勤務延長を閣議決定した。≫
≪野党などは、黒川氏の勤務延長と絡め、検事総長や検事長らの「定年延長」を政治判断で可能にする検察庁法改正案を批判し、改正案は今月18日、今国会での成立見送りが決まった。≫
定年延長が決まっている黒川検事長には関係ないことだけれど。
≪東京高検は「報道の詳細を確認しておらず、コメントできない」としている。産経新聞社広報部は「取材に関する事柄については、お答えしません」とし、朝日新聞社広報部は、50歳代の男性社員が黒川検事長らとのマージャンに同席していたことを認めた上で、「金銭を賭けていたかどうかは調査中。勤務時間外の個人的行動だが、極めて不適切な行為でおわびします」と回答した。≫
東京高検は事実関係が明確になるまでは対外的にコメントできないでしょうが、はっきりしたら、相応の対応が必要になりますね。
産經新聞は「取材に関する事柄」と言うけれど、単に仲間で遊んでいるだけじゃないの。それとも、このときの様子を取材して産經新聞に書くつもりだったのでしょうか。その場に居合わせない『週刊文春』の記者が記事を書けたのは、産經新聞の記者が協力しているということでしょうか。
朝日新聞は真っ先に、「金銭を賭けていたかどうかは調査中」とコメントしていますが、朝日新聞の記者が現場にいたのですから詳しい報道ができるんでしょうね、きっと。