長崎のモン・サン=ミッシェル

モン・サン=ミッシェル(Mont Saint-Michel)(聖ミカエル
の山)を長崎でみつけた!・・・?


モン・サン=ミッシェルは、言わずと知れたフランスの西海岸
・サン・マロ湾の中に立つ小島。そこには同名の修道院がある。
写真をみると、撮影の角度によってはまるで島ごとが修道院
見える。


もともとは966年に始まった修道院で、いまも修道院だが、
14世紀から15世紀のイギリスとの百年戦争の間は島全体が
要塞として利用され、フランス革命時の18世紀末から19世
紀半ばまでは監獄として利用されていたというから、修道院
基本構造は、要塞にも監獄にも適応しているのだろう。それが
いまや世界遺産。世界中から観光客が集まる超人気スポットに
なっている。


人気のポイントは、なんと言っても、あの海に浮かぶ聳え立つ
修道院のイメージ。潮の干満の差が15メートル以上もあって、
かつては、潮が引いたときには陸地から歩いて渡れ、潮が満ち
ると島になるというところだったのだそうだ。
世界遺産に登録された厳島神社も鳥居が海の中にあり、社殿も
海に突き出していて、イメージが似ている。と思ったら、厳島
神社がある広島県甘日市市とモン・サン=ミッシェルは姉妹都
市になっていた。


しかし、実は、モン・サン=ミッシェルは1877年から小島
でなくなろうとしていた。この年、対岸とを結ぶ道路ができ、
人々は潮の干満に関係なく島と対岸を自由に行き来できるよう
になった。潮の干満を心配しないで、自由に行き来できる便利
な生活になったわけだ。同時に、道路は潮流をせき止めること
となり、100年間で砂が2メートルも堆積してしまい、島の
周辺が急速に陸地化するようになった。航空写真をみると、
その様子がはっきりわかる。このままだと対岸と一体化してし
まう。そうなれば、どうってことない、海岸沿いの古びた修道
院だ。


フランスのモン・サン=ミッシェルも広島の厳島神社も海の中
に立つというところが魅力で多くの観光客が集まるのだ。


ところが、私が長崎でみつけた≪モン・サン=ミッシェル≫に
はひとりの観光客もいなかった。


場所は長崎市野母町。長崎市と言っても合併で長崎市になった
ところで、市街から車で3,40分もかかる過疎地域。市街地
を出てしばらく走って過疎地域になると、右側の海にいくつか
島が見える。そのうちの1つが軍艦島(=端島)。軍艦島と言
っても軍艦を島にしたわけではなく、島ごと炭鉱都市にした外
観が軍艦に似ていることから、この名称がついたのだ。野母町
の海岸沿いにある軍艦島資料館につくと、入りえの向こうに軍
艦島がみえる。確かに軍艦の姿をしている。


わたしが注目したのは、軍艦島資料館のすぐ目の前の入り江だ。
1ヶ月前に来たときには、海に浮かぶ岩山の形がちょっとモン・
サン=ミッシェル風でカッコよかった。それが数日前に通りか
かったときには地続きになっているように見えた。地続きだっ
たかなあと思いつつ通り過ぎ、2時間ほどして再び通りかかる
とやっぱり地続きになっている。ということは、あの小島に歩
いて渡れるということか。よくみると、どうも地続き部分は波
が押し寄せるたびにに狭くなっているようにみえる。浜に下り
て近づいてみると、やはり潮が満ちて来ていて地続き部分が消
えようとしていた。潮の干満で地続き状態になったり島になっ
たりしていたのだ。


わたしはまだ地続きになっているところを歩いて島に渡り(?)、
岩山の麓までゆき、陸地側を振り返った。細い道の先に陸地が
ある、おもしろい景色だ。もう少しで道は消えてしまう。消え
かけたところで、島から陸地に歩いて戻った。あと数分、島に
止まっていたら、靴を脱ぎ、ズボンを膝の上まであげなければ
渡れなくなっていた。このスリルもおもしろかった。


「ここは観光スポットとして紹介されていないけど」と言ったら、
地元の人に「この景色はずっとみているものだから、別に珍しい
ものではないですよ」と、あっさり言われてしまった。
地元の人にとってめずらしくなくても、よそ者にとっておもしろ
ければ、それは観光資源になるはずだ。潮が引いたらだれでも歩
いて渡れる島なんて、どこにでもあるものではない。軍艦島資料館
は内容が充実しているわりに観光客はほとんどいない。ここを観て
みらうためにも、2つをセットで観光地として宣伝してもいいので
はないだろうか。