個人データ管理の思想

昨日、共通番号法案(マイナンバー法案)が参議院で可決され、
成立した。
新聞やテレビでちょっと目立った報道をしていたから、気づいた
人もいるだろう。
当日午後11時30分からのNHKのニュース番組では、共通番号
法案(マイナンバー法案)を取り上げてくれ、私はNHKに行って
10分くらい話してきた。打ち合わせもほとんどない、とても話し
やすい番組だった。


共通番号法案(マイナンバー法案)は、個人データの管理・利用の
効率化を狙ったものだ。この法案に日弁連が(わたしも)強く反対
していた1つの理由は、個人データの流出や「なりすまし」犯罪などが
著しく増えるのではないかという危惧感である。


個人データ保護のあり方について絶対的に正しい方法というものはない。
国によってかなりちがう。どういう保護のあり方がよいかは、各自
(各国)が自分で考え選んでゆく必要がある。あとから間違いに気
づいて修正するのもOKだ。


個人データは個人の人格(権)の一部を構成する個人にとって大事な
ものなのか? それとも、広く他人に利用されてよい商品なのか?
人格の一部であっても商品であっても社会的に価値のあるものだから、
法律や制度、仕組みで一定の保護が必要だ。


しかし、どれくらい保護しなければいけないかは、どちらと考えるかで
かなり違う。
EUは個人データを人格の一部として保護しようという傾向が強い。
三者による監視機関の設置を必須としているのはそのためだ。これに
対して、米国は商品として利用しようという傾向が強い。規制法はある
が、第三者機関はない。情報の流通の便利さの観点からすれば、米国の
方が明らかに優っている。


マイナンバー法案は、共通番号(マイナンバー)を広く民間利用する
ことを志向している。どうも米国的志向のようだ。しかし、他方、特定
個人情報保護委員会という第三者機関を設置することにしている。これは
個人データ保護のための第三者機関の設置を要求しているEUに対応する
ためで、EU的志向になっている。これは熟慮の結果というよりも、
考え方の対立がそのまま法律の条文の中に入り込んでしまったものだ。


米国は個人データを商品的に扱い傾向があると言ったけれど、それを徹底
しているわけでもない。2011年4月から、国防総省関係者の個人データ
については社会保障番号とは別の番号で管理するようになった。この特別
扱いは人格権保護の観点ではない。人格権保護の観点ならごく一部の人だけ
番号制を別にするなんてあり得ない。国防の観点から軍関係者の個人データ
だけ特別扱いするということだ。こういう、ツギハギ的な考え方もある。


日本はどうか。
民間利用の拡大への期待があまりにも大きい。共通番号(マイナンバー)は、
民間で利用する、だれもが目にする、生涯不変の番号だ。行政の中だけで
利用する、いつでも変更可能な住民票コードとはまったくちがう。法律で
利用を禁止したって、やたらと番号が目につけば、だれだって個人のデータ
ベースを作ってしまいそうだ。子どもも、ヤクザも、日本国外にいる人たちも、
法律なんか無視して、あるいは知らないで、共通番号(マイナンバー)を
共通項にして個人情報のデータベースを夢中になって作るだろう。罰則という
アナログ的手法で追いかけようとしたって、世界中を駆け巡るデジタルデータ
を押さえ込むことなんてできない。


サイバーテロを本気で心配するのなら、生涯不変の個人識別番号を大いに民間
で利用する仕組みなんてどうかしている。
米国のように軍関係者だけを別の番号にするという配慮もない。
2002年、住基ネット稼働開始直前、住基ネットの稼働延期法案が国会に
提出されそうになったことがあった。このときこの法案提出にはっきり賛成
してくれた国会議員は、自民党防衛族や警察族だった。
いまや、そういう国会議員は日本にはいない。国会議員は進化したのか?