伊東豊雄さんの提案

 建築家の伊東豊雄さんが、2020年に東京で開催が予定されて
いるオリンピックのための国立競技場の建て替えで、新競技場を造
らないでいまある競技場の改修で済ませる案をまとめた、という記
事が今日の東京新聞に出ていた。

 伊東さんらしいなあ、と思った。
 伊東さんはわたしにとってかつて訴訟の依頼者だった人。

 国内の自治体が特定の建築家(山本理顕さん)に新庁舎の基本
設計をさせ、実施設計も出来上がり、さて工事入札となったときに、
うやむやに入札を引き伸ばし、そのうち、「他の設計会社に仕事を
頼んだからあなたはいらない」と切り捨てられた事件で、一緒にコ
ンペに参加していた伊東さんが「僕も原告になる」と名乗りを挙げ
て、山本さんと一緒に損害賠償請求訴訟をしてくれた。提訴前から
山本さんともどもよく意見交換をするようになり、公共空間の中に
何十年、何百年と長い間存在し続ける建築をすることの意味や責
任について考えるようになった。

 ふたりともすばらしい論客でとても面白かった。

 その伊東さんが、新競技場のデザインコンペに参加していた。伊
東さんの案は、いまあるものを壊して全く新しいものをつくるという
のではなく、改修案だ。
 改修案なら、周辺の環境を壊さないだけでなく、お金も工事期間
もかからない。

 しかし、これでは「オリンピック招致=巨大工事」で大儲けをしよ
うとしている人たちは納得しない。

 伊東さんの案は応募する前から落選確実だった。ふつう、応募し
ても絶対に落ちるような案を一生懸命に考える応募者はいない。ま
してや、伊東さんならコンペ主催者のご要望に応えようとすればで
きたはずなのに、あえて馬鹿げた提案をした。

 そこには、「オリンピックが日本に来るから目いっぱいすごいもの
を造ろう」という発想は微塵もない。
東日本大震災の被災地の復興
という大問題を抱える中での、国土強靭化政策の名の下の公共建
築の膨大化で、さらにすごい国立競技場を、は異常すぎるではない
かという問題意識がある(ように思える。)。

 大きな仕事で大金さえ払ってもらえれば、どんな建築でもします。
 建築家をそんなふうに見切っている人たちもいるだろう。

 しかし、それはちがう。建築家は、単に設計をしてお金を払って
もらうだけマシーンではなく、社会のこと、未来のことを責任を持っ
て考えている哲学者なのだ。そうでなければならないのだ。

 伊東さんの問題提起に私たちはどう答えるか。