「環社会」/人はみな、別々の世界を生きている

 「哲子の部屋」がおもしろい!
 黒柳徹子さんの長寿番組「徹子の部屋」ではなく、まだ、たった2回しか放送されていないEテレ
哲学番組(日曜日午前0時)だ。

 哲学番組・・・!
 如何にもむずかしそう。とても、おもしろいとは思えない。弁護士という(屁)理屈だらけの世界で仕
事をしているから、小難しい番組がすきなんじゃないか。そう疑う人もいるだろう。
 わたしも、哲学がおもしろい番組になるのかなあ、と思った。

 が、出演者の顔ぶれをみて、??? 
 国分功一郎(40歳)は哲学者。これは当たり前。一緒にでるのは、女優で、「勉強大嫌い」を自称
する清水富美加(19歳)と、マルチ芸人のマキタスポーツ(44歳)
 これで、哲学の番組が成り立つのかあ?

 わたしがみたのは、24日午前0時からの第2回。
 国分さんが問題提起。生物学者・ユクスキュルが提唱した、「環社会すべての生物は別々の空間
と時間を生きている」。
これって、どういうこと?

 人間以外の動物との比較。

 ダニ。ダニは目が見えない、音も聞こえない。温度と臭いに反応して活動している。自分がダニにな
った気持ちで考えてみよう。ダニであるわたしは、人であるわたしと同じ世界を生きていると言えるだ
ろうか。
人とダニは同じ時期に同じ空間にいても、ダニが知っている世界(環社会)は、人が知ってい
る世界(環社会)とはまったくちがう。

 盲導犬。犬が盲導犬になるには、子犬のときから時間をかけて様々な訓練をする必要がある。訓練
しても、盲導犬になれない犬もいる。なぜか。それは、犬はふつうに育てれば、犬としての価値判断で
行動する。しかし、盲導犬には、ふつうの犬のような勝手な行動は許されない。盲導犬に頼って行動
する人(の価値判断)に合わせて行動しなければならない。
これは、犬が知っている世界(環社会)と、
人が知っている世界(環社会)がちがうことを前提にしている。

 では、人はみな同じ環社会に生きているか?
 同じに決まっている!・・・? そうだろうか。

 3人で、かつてのテレビ映画「スパイ大作戦」と映画「ミッション インポシブル」のテーマ曲のイント
ロを聴く。決定的にちがうことがある。それはなにか。楽器の演奏をある程度している人にはすぐわか
る問題。国分さんとマキタさんはすぐにわかった。が、清水さんは「同じでしょ?」と自信なさげ。メロデ
ィは基本的に同じだから、同じように聴こえるのは当然。だが、決定的にちがう点がある。それはリズ
ムだ。「スパイ大作戦」は5拍子、「ミッション インポシブル」は4拍子なのだ。同じ音楽を聴いていな
がら、ちがいにすぐに気づく人と気づかない人。楽器演奏の経験のちがいが、聴き分けのちがいにな
っていた。

 人は、それぞれが自分の体験から学習した知識や価値判断の中で生きている。だから、それ以外
のことは、実は、本当に理解しているわけではない。
個人の間でも、自分のことをわかってくれている
と信じていた人が全然わかってくれていなかったことがわかったりすることがある。これを裏切りと受け
止めることもできるが、もともと相手のことを深いところで理解していなかっただけのことかもしれない。

 勉強するというのは、教室に座って、だれかの話を一方的に聞かされるだけとか、何かに書いてある
ことを丸暗記することではない。自分の環社会とは異なる他人の環社会(の一部)を意識的に知ろうと
することだ。それは、自分の(擬似)体験範囲を広げ、自分の環社会を広げ、他者との相互理解を手助
けてくれる。これを人の環社会移動能力というのだそうだ。他人が書いた本を読むことも環社会を広げ
ることに繋がるのだ。

 番組の終わり頃には、勉強大嫌い人間を自称していた清水さんが少し勉強に関心を持ったみたいだっ
た。

 自分の環社会を広げることはおもしろい。「哲子の部屋」で、改めて実感した。