やっと

 千代田区議会は、2002年、全国ではじめて政務調査研究費(現在は「政務活動費」)の使途に関す
る監視機関を外部委員で構成するものとしてつくった。

 わたしは、当時、市民オンブズマン活動の一環として、政務調査研究費に関する情報公開請求や住
民監査請求、住民訴訟に関わっていたから、決して、議員寄りではない。むしろ、自由気ままに政務調
査研究費を使いたい議員には嫌な存在だ。

 そのことを承知で、千代田区議会は、監視機関である政務活動費交付額等審査会の委員になっても
らえないか、と依頼して来た。本当に驚いた。わたしは真意をたしかめるべく、条件を出した。
「わたしは、問題点は問題点として指摘するが、それでいいか」
「いい」
「提出した意見書などは公表すること。それを元に千代田区民が住民監査請求や住民訴訟を起こすこ
とになったとしても」
「はい」

 千代田区議会では、意外にも(と言っては失礼かもしれないが)、多数会派の自民党がわたしを採用
することに乗り気だった。不思議な感覚だったが、多数派が乗り気なのは嬉しいことだ。
 
 委員に就任してから、各会派の議員と議論し、事務局と議論し、もちろん委員相互間で議論をし、政
務調査研究費の使途は徐々にまともな方向に向かった。議員たちは、「自分たちだけではできなかっ
た」ことを認めている。外部からの指摘はそれなりに意味があった。

 が、徐々に、と書いたように、一足飛びには進んでいない。だから、わたしは、つねづね、「この実態
からすると、住民訴訟を起こされたら負けますからね」と釘を刺しておいた。幾度も幾度も。

 そして、ついに昨年、住民訴訟を起こされた。朝日新聞にも使途の問題点を指摘する大きな記事を
書かれてしまった。インターネットでいまでも簡単に見られる。

 途端に、ということでもないのだが、最近は改善のスピードが落ちていた。会派間の話し合いがまと
まらないのかもしれない。

 その余波は、ついに、政務活動費交付額等審査会の活動にも及んだ。
 今年3月下旬に千代田区議会に提出した『平成24年度政務調査研究費に関する意見書』が、千代
田区議会のホームページに掲載されなかったのだ。そのことをわたしは知らなかった。取材に来た新
聞やテレビの記者数人から、「意見書が議会のホームページに出ていないが、なぜか」。とっくに公表
されていると思っていたわたしは驚いた。「今年3月下旬に議会事務局に提出しているから、公表でき
るはずだ。議会事務局に言ってください」と答えておいた。

 が、それでも議会事務局は『平成24年度政務調査研究費に関する意見書』を議会のホームページ
に出さなかった。議会事務局に問い合わせると、「事務局に来てもらえれば、公表文書なのでお渡し
できるし、しています」という説明。来れば渡すと、ホームページで見られるでは、全くちがう。それを
わかっていながら、平然とこういう説明をする。まるで、「あなたは外の人。外の人にはこんな説明で
十分なんだ」と言わんばかり。議会事務局とは二人三脚で仕事をしてきたつもりだっただけに、この
説明には呆れた。・・・呆れたを通り越して、何とも悲しい。

 ときの流れというのは、こういうことなのかもしれない。

 わたしは、議会事務局に、『平成24年度政務調査研究費に関する意見書』をすぐに議会のホーム
ページに出すよう、強く求めた。返事は曖昧だったが、つい最近になって、ほぼ半年経って、やっと
掲載された。

 「千代田区議会」→「区議会について」→「区議会報告等」→「諮問・答申等」で、この意見書と過去
の意見書などがみられる。

 議員たちは、わたしたちが書いた意見書が原告側に使われることが「敵に塩を贈る」かのようで納
得できないのかもしれない。

 しかし、議員の皆さん。皆さんは、そのことを承知で外部の監視機関を取り入れたのだ。住民訴訟
という事態は起こるべくして起こったのだ。もっと早くに起こっていてもおかしくなかった。

 この訴訟を勝ち切れるか、一部敗訴、全部敗訴になるか、それはわからない。しかし、しっかり闘
い抜いてこそ、この間に考えたこと、体験したことが、まちがいなく今後に役立つ。
 草創期に立ち返って、怯まないで、難題に立ち向かってほしい。