重要ななにかが抜けている

 今日付の朝日新聞朝刊記事の「メディアタイムズ」のコーナーは、「慰安婦報道 元記者の家族
も攻撃」

 ≪慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者が勤める大学へ脅迫文が届き、警察が捜査を進め
ている。インターネット上では、元記者の実名を挙げ、「国賊」「反日」などと憎悪をあおる言葉で個
人攻撃が繰り返され、その矛先は家族にも向かう。≫

 これは確かに問題だ。元記者に対する攻撃も度を越しているし、家族に対する攻撃なんて論外。
暴走以外のなにものでもない。

 記事には、被害者と加害者と第三者(大学、支援者、コメントなど)のことが書かれているが、ど
うもしっくりしない。この記事には重要なことが抜けている。それは、朝日新聞社が問題の記事を
書いた元記者やその家族を守るために何をしたかということだ。

 誤報はずっとむかしにわかっていた。他社が訂正しないからウチも、は朝日新聞社には通用し
ない。「朝日だから」「朝日のくせに」と、朝日新聞社だけが批判される。そのことは朝日新聞社
身よく承知しているはずだ。だから、朝日新聞社はそのことを踏まえた独自の防御をしなければ
ならない。

 それが、誤報に気づいたときにさっさと訂正記事を出して、謝罪することだった。それを歴代の
幹部たちはだれも決断し実行しなかった。そのことのツケはいつか回ってくる。最もタイミングが
悪い時期に回って来る。
朝日新聞社はそのタイミングを選べない。選択権は攻撃する側に移って
いるからだ。

 そして、そのとおり攻撃が始まった。

 記事中の、北星学園大の学生と保護者に向けた説明文によれば、
 ≪植村氏の退職を求める悪質な脅迫状が5月と7月に届き、北海道警に被害届を出したこと
を明らかにした。3月以降、電話やメール、ファクス、手紙が大学や教職員あてに数多く届き、
大学周辺では政治団体などによるビラまきや街宣活動もあった。≫

 8月初めのあの従軍慰安婦関係記事はこのような事態を沈静化するためだったのだろうか。
 そうだとすれば、あまりにもズレている。あのあまりにも上から目線過ぎる記事では、どう考え
ても事態は沈静化しない。政治的意図があったかどうかはともかくとして、かつて重大な政治的
影響力を与える記事を出してしまった報道人として、真摯な反省の態度が必要だった。それが
ない。これでは火に油を注ぐだけだ。
そのことにあの記事を作った人たちはだれも思いが及ば
なかった。

 しかも、朝日新聞社を窮地から救おうとした池上彰氏の真っ当な指摘さえ無視し揉み消そう
とした。徹底したマイペース。最も朝日新聞社を憎悪しているであろう人たちの思考を読まない
強気ぶり。

 そして今度はバッシング被害報道。
 ここでも、朝日新聞社の幹部たちは自分たちのとった対応とその誤りをはっきりさせようとし
ない。この往生際の悪さ、ダメさ加減が元記者やその家族、さらには大学の被害を深刻にして
しまっているという自覚も自戒もない。

 弱気になってひたすら頭を下げろ、と言っているのではない。
 誤報は現場の記者だけの責任ではない。署名記事でも、その記事を出す出さない、どう出
すかはデスクの責任だし、さらには会社の責任だ。誤報がわかった後の対応は、現場の記者
の責任ではない。デスクと、それより上の人たちの責任と決断だ。

 朝日新聞社はそれができなかった。であれば、かつて記事を書いた記者とその家族が深刻
な被害に遭うことのないよう徹底的に守れ。大事なときに会社が自分を守ってくれないと見切
ったとき、記者たちは会社に対する信頼を基礎とする仕事ができなくなる。それは、現場の記
者たちが国民の知る権利に応えるための仕事をしなくことを意味する。

 これまでも繰り返し指摘してきたが、これは朝日新聞社だけに当てはまる問題ではない。