萎縮、自粛、さらに迎合へ

 「秘密保護法が施行されると罰則規定により報道が萎縮する」という論に、わたしは、
それ以前に自粛が日常化していると指摘した。

 が、この指摘は不十分だった。
 報道は権力に迎合し広報としての役割さえ果たしている、という点だ。

 毎日新聞は10月30日付朝刊の「クローズアップ2014」のコーナーで、「イスラム国」
渡航しようとしていた北大生に対する捜査に関連する特集記事を載せている。

 これが秘密保護法に反対している毎日新聞の記事なのか、と驚いた。

 一言で言えば、この記事は、警視庁公安部の広報であって、公安捜査を牽制する視
点が欠落している。
権力は報道とこれを読む一般国民の批判に耐えうる仕事の仕方を
しなければならない。そうでないものは、権力の暴走として批判の対象になる。それが
この記事では批判的な視点、懐疑的な視点がまったくないのだ。

 記事の見出しは「北大生渡航計画」「イスラム国広がる勧誘網」「元教授、「移民」と仲
介」「アルカイダの手法活用」「数ヶ月かけ洗脳も」。これだけ見ると、日本にも「イスラム
国」勧誘網が及んでいるかのような印象を与え、そのことが記事に書かれているかのよ
うな印象を与える。

 ところが、記事にはそんなことは書かれていない。

 記事はリード部分で、北大生の家宅捜索事件が≪イスラム国とのつながりが国内に
も存在することを初めてクローズアップさせた。≫
と断言している。

 ここでのキーワードは≪つながり≫ なのだが、なにをもって≪つながり≫というのか。

 神田の古書店の店主(東大出身の30代男性)が「勤務地 シリア」と書いた求人広告
を出し、これをみて関心をもった北大生に中田孝・元同志社大学教授を」紹介し、同教
授が「イスラム国」を取材したことがある常岡浩介氏を紹介した。常岡氏が北大生に会
い、「「イスラム国」に行くのなら同行取材をする」と申し出て、一緒に渡航することにな
った。

 これが≪つながり≫?
 
 記事によれば、中田氏が知り合いのイスラム国幹部に「移民として日本人が行く」
伝え、幹部からも内諾も得ていた、とあるが、「移民」てなんだ。「戦士」ではないのか。
「移民=戦士」なのか。 中田氏は毎日新聞の取材に、「現地でイスラムについて学び、日本とイスラム国の
架け橋になってほしいと思った」
と答えたとある。「現地でイスラムについて学」んで「日
本とイスラム国の架け橋にな」るのでは、まるで文化交流だ。「戦士」として戦闘に参加
してすぐにでも死ぬというイメージがまったくない。

 中田氏は、他人(北大生)の言っていることや気持ちを理解しているのだろうか、大
いに疑問だ。取材していてそういう疑問は湧かなかったのだろうか。

 記事によれば、「公安部は、渡航計画は就職活動の失敗など現状への不満が引き
金になったとみている」
とある。これはよく報道されていることだが、そんなことでシリ
ア行きを若者が決意するなら、日本の10代、20代、さらには安定した職に就けない
30代、40代だって大挙、シリア行きを決意したっていいはずだ。
 最近の統計報道で、「また生まれてくるとすれば日本がいい」という人がかなりの割
合(7割くらい?)だった。
だれを対象とした調査かにもよるし、母数がどれくらいかにも
よるが、実態からそれほど掛け離れてはいないだろう。だとすれば、就職活動の失敗も
不安定雇用もイスラム国へ向かう動機にはならない。少なくとも主要な動機にはなり得
ない。
 公安部の分析能力の欠落ぶりには呆れるが、分析になっていない指摘をそのまま記
事にしてしまうマスコミに呆れる。

 北大生がこのように考えているのだとすれば、中田氏のいう「現地でイスラムについ
て学び、日本とイスラム国の架け橋にな」るなんてことはあり得ない。
 記者は中田氏の珍回答にさらなる質問をしない。

 質問をしたら、もっと変な回答をしたのかもしれない。だったらそれを記事として書くべ
きだ。

 ≪つながり≫という以上は、≪つながり≫の両端がしっかり繋がっていなければな
らない。
記事では、中田氏が知り合いのイスラム国幹部に「移民として日本人が行く」と
伝え、内諾を得ていた、とあるだけ。まるで文化交流のようなつもりで来る日本人を受け
入れるなんて、相手は言ったのか。
 言ったのであれば、北大生が渡航を止めてしまったとき、中田氏は知り合いの幹部の
どのような連絡を取ったのか。知り合いの幹部からどうなっているのかという連絡はあっ
たのか。この点も記事には書かれていない。このやりとりがないのだとすれば、遡って
そもそも連絡を取っていたのかさえ疑問だ。
 記事はなにをもって≪つながり≫と言いたかったのか、さっぱりわからない。

 でも、なんとなくわかる。そう思う人がいるかもしれない。

 しかし、それはダメなのだ。
 記者が単なる日本の世相の一断面として取材をしているのならともかく、この記事は
警視庁公安部が、北大生や古書店店主、中田氏、常岡氏について私戦予備・陰謀罪
が成立する可能性があるとして犯罪捜査をしているというものだ。だから、私戦予備・
陰謀罪の条文に該当する行為が行われていたかどうかが慎重に判断されなければ
ならないのだ。

 読者には、ふだん聞き慣れない犯罪類型の解説をしっかりする必要がある。

 記事では私戦予備・陰謀罪について解説している。
 この部分は恣意的にならないように、刑法の解説書を引用するか、これをもとにわか
りやすく書くか、専門家に説明してもらうかが必要だが、記事では、それをやっていない。
記事では「政府の意思と無関係に個人が外国と戦争う準備する行為」と解説している。
「個人が」とあるから、たったひとりでも私戦予備・陰謀罪が成立することになる。
 しかし、「私的に戦闘行為をする」にも、その「予備」「陰謀」と言える行為
をするにも組織性や集団性が必要だ。これはこの条文解釈として常識だ。これまで我が
国で、戦前戦後を通じて1度も適用されたことがないのはそのためだ。明治時代につくら
れた刑法の条文を現代用語に書き換える作業のときに、この条文を削除してはどうかと
いう議論があったほどだ。

 記事の解説では、私戦予備・陰謀が処罰対象として規定されている理由について驚く
べき説明をしている。
 憲法で「戦争の放棄」をうたう日本にとって、私戦は戦争の引き金になりかねない
と判断したためとされる。≫
 「される」って、だれの説明?
 「戦争の放棄」を規定しているのは1946年5月に施行された現行憲法だ。しかし、私
戦予備・陰謀罪が刑法に規定されたのは明治時代。現行憲法戦争放棄を規定するこ
とを知らない時代に作られた法律だ。やれやれ、な解説だ。

 条文の解釈をちゃんと検討していないのは、記者だけではない。
 ≪捜査幹部は「私戦予備なんて罪名は適用した記憶がないから法務省と相談し
て詰めようと考えていたが、出国の情報を聞いて慌てて捜索した」
と明かす。≫
 条文解釈の検討をしていないのだ! 日常的に発生している類型的な事件ならともかく、初めて適用しようという条
文について条文解釈の検討確認をしないままの「捜査」は暴走というほかない。

 条文解釈をいい加減にしておいて捜査をしているのは、刑事ドラマに出て来る
ような刑事部ではない。警視庁公安部だ。

 公安部は刑事部と異なり、通常、犯罪捜査をしていない。むしろ、犯罪になら
ない情報を収集する内定を仕事としていて、犯罪として検挙することをしない。
 刑事は捜査を開始するとき、捜索差押許可状がとれるか、逮捕状がとれるか、
起訴できるか、有罪に持ち込めるかまでを考える。条文解釈をまちがえていれば、
検察も裁判所も弁護人も相手にしない。だから、条文解釈には細心の注意を払う。
 これに対して、公安部はそもそも内定対象者にわからないように情報収集する
ようなことをしているから、裁判官にも、検察官にも、弁護人にも突っ込まれる
ことがない。組織内の了解さえ得られれば何でもできる。
 両者では、刑罰法規の解釈に対する厳しさがまったくちがうのだ。
 だから、≪私戦予備なんて罪名は適用した記憶がない≫くせに、≪法務省と相
談して詰めようと考えていたが、出国の情報を聞いて慌てて捜索した≫と、見切
り発車したことを平然と説明する。
 「そんなことでいいんですか?」と、記者は質問しない。

 そういう公安部に刑事部のような捜査能力があるはずがない。刑事部の刑事に協
力を得れば刑事らは手伝ってくれるだろうが、そうなると、刑事部は公安部の内情を
知ってしまうし、捜査であれば刑事部の主導でやらせろ、となる。それでは公安部は
自分たちの思い通りの「捜査」(集めたい情報を集める)ができない。公安部の内情
(実力の程)がバレるし、やりたい「捜査」ができないでは意味がない。だから、公安
部が刑事部に捜査の協力を要請しない。

 刑事警察だったらこんな捜査をするだろうか。サツ周りで刑事警察に精通している
マスコミ(記者)にはそういう視点でこの捜査を取材し報道してほしい。

 こんな疑問だらけの情報を無批判に垂れ流すのは、公安警察という権力への迎
合そのものにほかならない。そのようなマスコミは秘密保護法による処罰を恐れる
必要は無い。すでに権力側に立っているのだから。