振り込め詐欺被害者の苦悩と絶望を考える

 昨日の『クローズアップ現代』では、振り込み詐欺の被害者の苦悩を取り上げて
いた。
 深夜、最後の部分をみただけだったので、改めてクローズアップ現代のHPで内容
を確認した。

 ≪過去最悪、被害額が559億円に達した振り込め詐欺などの「特殊詐欺」の被
害。これまで、犯人像や犯行の手口は報じられてきたが、被害者の苦悩が語られる
ことはほとんどなかった。今回、NHKの取材によって、詐欺の被害をきっかけに
家族関係が悪化し、自殺に至ったりするなど、被害者が苦しみを深めていることが
明らかになってきた。ある女性は、被害に遭ったことを息子に打ち明けたところ、
逆に叱責され、以来関係が悪化。孤立を深め、自殺を考えたという。別の女性は、
被害を恥と感じ、家族や友人にも相談できず、うつ状態に。外出ができず、食事も
満足に採れない状態に陥った。被害者が追い込まれないためには、どのようなサポ
ートが必要なのか―。千葉県柏市は、被害者が悩みを打ち明けたり相談したりでき
る場を作れないか、老人会に協力を呼びかけるなど、模索を始めている。毎年延べ
1万数千人が遭っているとみられている詐欺の被害。孤立し、苦悩を深める被害者
の現実と支援のあり方を考える。≫

 番組からは問題解決の方向性がみえなかった。

 で、日本という社会のあり様から考えてみたい。
 この国は戦後、経済至上主義で突き進み、今日に至っている。そこで生きている
人々は、だれもが経済的豊かさを幸福の指標とし、成功と失敗、勝ちと負けを判断
する。「ひとりひとり、そのままでいい」などという価値観で生きていける社会ではな
い。みんなに合わせなければいけない社会。それをお互いが疑心暗鬼になりながら
監視し合っている。

 日本社会には、自分で考え、自分の人生を切り開くことが重視されない。そんな
ことをしなくたって、みんなに合わせていればいいのさ。完全同調=思考停止社会。

 そこでは、どういう人に同情するか、どういう人を蔑むかまでもが、社会的にパター
ン化されている。自分がなぜその人に同情するのか、自分がなぜその人を蔑むのか、
いつまでどのように同情し、蔑むのかを、自分の頭で考えることをしない。場の空気
を読んで、それに合わせるだけ。特に努力はいらない。

 振り込め詐欺の被害に遭った人の周辺にいる人々は、家族でさえもが、被害者を
蔑み、被害者に怒る。「何をやっているんだ!」。被害者は萎縮し、意気消沈し、自分
を責める。家族の間に深い深い溝ができる。被害者は自分を責め続けて、生きてい
る価値を見失い、自殺を選ぶ人もいる。

 なぜ、親密だったはずの家族の間に突然、深い溝ができ、同情されるべき被害者
が自殺するのか。

 ここにあるのは、被害者本人もその家族も、まさか自分が、自分の家族が振り込
め詐欺の被害に遭うはずがない、という慢心と、被害者に対する剥き出しの、ある
いは無意識のうちの軽蔑の感情だ。
 それがあるから、自分が被害者になった途端、「自分は何とばかな、恥ずかしい
ことをしてしまったのか」と思い、家族は、「何と恥ずかしいことをしてくれたのか」
と、迷うことなく、本人も家族も被害者を責めることになる。

 薬害エイズ訴訟に関わっていたことからHIV感染症にふつうの弁護士より詳しい
わたしは、薬害かどうかを問わず、多くのHIV感染者の知り合いがいる。彼らから、
自分がHIV感染を知ったときの本人のショックと周囲の人々の反応を聞くと、これが
振り込め詐欺の被害者とその家族の関係に実によく似ている。

 HIV感染は性感染症。かつては致死的な病気と言われたが、いまでは慢性疾患に
なっている。それでも社会的には致死的な感染症と思い込まれているフシがある。
 HIV感染症は感染しても数年以上症状が出ないために、だれがHIV感染している
かを他人が知らないだけでなく、本人でさえなかなか気づかない。そんなとき、感染
している本人でさえ、HIV感染には無関心で、どちらかと言えば関わりたくないと
思い、差別的な心情を抱いている。
 それが、ある日、突然、ちょっとしたきっかけで試しにHIV抗体検査を受けたら、
まさかまさかの陽性だった。その現実を知ったときの本人のうろたえよう。絶望
的な死しかみえない。周囲の人に知られたことでそれまでの人間関係が崩れるこ
ともある。感染者は、周囲の人、家族や親しい同僚にさえ自分の不安な気持ちを
打ち合えることができず、一人悩み、自殺願望に陥る。

 無関心の差別者側から突然、被差別者側に一転したことで、どうすればいいの
か全くわからなくなるから、こうなるのだ。

 長年にわたって多くのHIV感染者と付き合って来たわたしからすれば、悩むに
値しない馬鹿げたことだ。

 わたしの事務所には、いまも、新たにHIV感染者が相談事を持ち込んで来る。
わたしの事務所でHIV感染者に対する世の偏見差別を一緒に笑い飛ばすと、か
なり元気になって帰って行く。

 振り込め詐欺の被害者の立場もこれと同じ。実際は、明日はわが身、わが家族
の身なのだ。そういう問題としてふだんから自分なりに考えていれば、その時点
ですでに被害者の心情も想像でき、被害者のことを深く考え、被害者を蔑む感情は
生まれない。自分が同じ立場になっても、「あ、やっちまったぜ」と悔やむことはあっ
ても、ダメな人間として自分を全否定することはない。心の準備はある程度できて
いる。ふだん自分で思考している人にはそういうタフさがある。

 思考するタフさが家族のだれにもなければ、そのうちのひとりが振り込め詐欺
の被害に遭ったとき、それをそれまでどおりの家族関係で受け止めることはでき
ない。

 NHKの番組では、終わりの方で、老人会の皆さんに話してみましょう、みたいな
ことを紹介していたが、年寄り同士だったら何とかなるかもという問題ではない。
年齢の共通性から共感性は生まれない。年寄りは結構偏屈なのだ。・・・あ、そ
れって、わたしか!

 必要なのは気まぐれな同情ではない。

 要は、被害者に共感できるタフな思考ができるかだ。
 被害者は強い屈辱感と後悔の念を抱き続けている。周囲の人々は、そのような
被害者をただダメな人間としてだけ捉えるのか、ときには誤ったことをしてしま
う弱い、同じ人間として捉えようとするのか。前者は表面的な評価だからだれに
でもできる。しかし、後者は相手と対等に話をし尽くすだけの意志と技量が必要。
ひとりひとりがふだんから意識的に取り組んで、タフになっていないとできない。

 経済至上主義の価値基準しか持ち合わせない、とにかくみんなに合わせることが
第一の社会に生きる者に、これができるだろうか。