元陸将の情報漏えいを考える

毎日新聞 12月4日(金)20時44分配信
陸上自衛隊の元陸将が元在日ロシア大使館付武官に内部冊子「教範」を渡し、情報
漏えいしたとされる事件で、元陸将が「武官は研究熱心で、そそのかされて渡してしまっ
た」と供述していることが、捜査関係者への取材で分かった。警視庁公安部は4日、自
衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑で泉一成・元陸将(64)とセルゲイ・コワリョフ元武
官(50)を書類送検した。≫

内部冊子「教範」を渡したことが情報漏えいとされているが、この冊子はどれほどの秘
匿性があったのだろうか。一般人には入手不可能だったのか。自宅への持ち帰りは禁
止されていたのか。そのことは規定されていたのか。記事からは、どの程度の、どれほ
ど重要な秘密なのかがわからない。

書類送検ということは逮捕されていないということ。
日本では、裁判官は些細な事件で、およそ逃亡のおそれがない事件でも、警察が逮捕
状請求をすれば、必ずと言っていいほど、「証拠隠滅のおそれがある」「逃亡のおそれが
ある」と決め付けて、だれでも逮捕、勾留する。
なのに、この事件の関係者はだれも逮捕されていない。証拠隠滅のおそれも、逃亡の
おそれもない、ということを、裁判官が判断する以前に、捜査機関が判断して、逮捕状
の請求をしていないということか。

逮捕してしまうと、検察は、制限された身柄拘束時間(逮捕で72時間、勾留で10日間、
勾留延長で10日間)の間に、原則として起訴・不起訴の結論を出さなければならない。
事案によっては、これはかなり大変なことだ。

起訴するとなれば、公開裁判で漏えいされた秘密の内容を公開しなければならないの
ではないかという問題が起こる。
秘密保護法の運用にも関連するから、かなり微妙だ。

≪公安部はまた、陸自富士学校長兼富士駐屯地司令の渡部博幸陸将(57)ら40〜5
8歳の現役陸上自衛官やOBの5人について、泉元陸将の依頼に応じて教範を提供した
などとして同法(守秘義務)違反容疑などで書類送検した。≫

自衛隊の第5章(隊員)の第4節(服務)で守秘義務を規定している。
第59条1項:隊員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を離れ
た後も、同様とする。
罰則規定は第118条。第1項第1号で秘密を漏えいした者について規定し、第2項で教
唆した者について規定している。いずれも、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金。

特定秘密保護法の罰則規定では、10年以下の懲役、事情によっては懲役刑のほかに
1千万円以下の罰金と規定しているから、秘密の内容に雲泥の差がある。自衛隊法の
守秘義務違反の方がかなり軽い内容だとは言える。

≪泉元陸将の送検容疑は、2013年5月中旬、コワリョフ元武官から部隊の運用方法に
ついてまとめた資料の提供を要求され、現役陸自隊員やOBに普通科運用」と呼ばれ
る教範を入手するように依頼。数日後に陸自隊員ら5人を通じて提供された4冊の教範
のうち、渡部陸将から譲り受けた新品1冊を東京都千代田区内のホテルでコワリョフ元
武官に渡したとしている。≫

泉元陸将はコワリョフ元武官と1対1で会っていたように読める。
特定秘密保護法の立法過程で過去の事例として取り上げられたボガチョンコフ事件では、
1対1で面談していた。複数で面談するようにすることでリスクを小さくする、ということが、
教訓になっていたはずだし、ルール化され、実行されていたのではないのか。

「コワリョフ元武官から部隊の運用方法についてまとめた資料の提供を要求され」とある
が、一方的な情報提供がなされていたのだろうか。一定の情報のやりとりはお互い様と
いう関係だったのではないか。秘匿性の低い情報を提供することで、相手からもこれに
相当する、あるいはそれより少し上の情報を提供されていたという関係ではないか。

うだとすれば、これは、いわば、「肉を切らせて骨を切る」という関係として、防衛省にとっ
て必要な情報収集活動の1場面ではないのか。これを、公安警察が独自の判断で犯罪と
認定し摘発してしまったということであれば、防衛省にとっては摘発こそが問題なのでは
ないか。防衛省と事前に十分な打ち合わせをしているのだろうか。この種の問題に関して、
「ある日、AがBに秘密情報を提供した」という1場面だけを切り取って犯罪として取り扱う
のは適当ではないだろう。

≪泉元陸将は容疑を認めている。5人も容疑を認め、「ロシア側に渡るとは思わなかった」
と供述している。公安部は外務省を通じ、既に帰国していたコワリョフ元武官の出頭をロシ
ア大使館に要請したが、大使館側から「応じられない」と回答があったという。≫

「5人も容疑を認め」とあるが、「ロシア側に渡るとは思わなかった」のであれば、5人が認
めたのは事実経過であって、犯罪を犯したことを認めたわけではないのではないか。

すでに帰国しているコワリョフ元武官が再来日にして警察に出頭するはずがない。

≪泉元陸将は東部方面総監などを歴任。捜査関係者によるとコワリョフ元武官はロシアの
情報機関「軍参謀本部情報総局(GRU)」の所属とされ、日本に計9年間勤務した。12年
2月にロシア大使館主催のレセプションで泉元陸将に近づき、1年3カ月にわたって都内の
飲食店で計8回接触。帰国直前に内部資料の提供を求めたという。泉元陸将は教範の他、
陸自習志野駐屯地(千葉県)を紹介するパンフレットや、贈り物の生活家電をコワリョフ元
武官に渡したという。【堀智行】≫

「コワリョフ元武官は、・・・12年2月にロシア大使館主催のレセプションで泉元陸将に近づ
き、1年3カ月にわたって都内の飲食店で計8回接触。」とあるが、いつも1対1で会ってい
たのか。

陸自習志野駐屯地(千葉県)を紹介するパンフレットや、生活家電は何の問題もない。

防衛省は4日、書類送検された渡部博幸陸将を、同日付で陸自富士学校長兼富士駐屯
地司令から陸上幕僚監部付に異動させる人事を発表した。事件を受けて同省内に設置され
た調査委員会の調査対象となり、現在の職務をまっとうできないことを異動の理由としてお
り、実質的な更迭人事。≫

そうせざるを得ないのかもしれないが、これは特異事例ではないのではないだろうか。漏
えいのリスクがどこで生じているかを拾い出し、今後の対策に役立てることが重要なので
はないか。

中谷元(げん)防衛相は「国民の自衛隊に対する信頼に背き、我が国の防衛に対する内
外の不信を招きかねない遺憾な事案。厳正に対処する」とのコメントを出した。【町田徳丈】≫

個人の特異事例と決め付けるべきではない。