必見!“介護殺人”当事者たちの告白

7月3日(日)のNスペが戒護殺人を取り上げる。

その紹介記事によると、
≪息子や娘に迷惑はかけられない≫

どうしても、そうなる。

≪夫の命を奪うことで先の見えない介護生活は終わった。仏壇の前には夫の遺骨が安置
され、女性はこの日も手を合わせていた。≫

どういう心境なのか?

≪「後悔はしてない。やったことは悪い。でも、ああするよりほかなかった」≫

刑務所に行ってきてもこういう言葉が出る。刑務所が、遡れば刑事裁判も犯罪捜査も、犯
罪者を反省させていないし、再発防止に役立っていない。
このように言っていても、もちろん、この人はほかの人を殺すようなことはしない。

≪弟でなければ、自分が殺していたかもしれない≫

≪平日、男性が仕事に出た後に、弟は電気コードで首を絞めて母親を殺害した。介護を始
めてから2カ月後のことだった。裁判の記録によれば、事件の少し前、弟は、母親が服やタ
オルに大量の大便を付けたままトイレから出てくるのを見た。その姿に、「一番辛いのは母
親なのだ」
と、殺害を決意したという。≫

「一番辛いのは母親なのだ」はちがうのではないか。
母親には本当にわからなくなっているのではないか。

≪「弟はいきなり最悪の状態の母に直面し、急激に追い込まれてしまった。判決では、2カ
月ぐらいでは介護疲れにならないと言われましたが、
精神的に追い詰められていけば起こ
りうることだと思います。私は限界を超えそうになっていました。だから、弟を呼ばなか
ったら、私が母親を殺していたかもしれません。一番悪いのは、弟を呼んだ私です」≫

「弟はいきなり最悪の状態の母に直面し、急激に追い込まれてしまった。」
徐々にではなく、いきなり。母親どころか、弟は自分の知っている母親との落差に、「これ
は母親ではない」と思うくらいにショックを受けたのではないか。

その弟が母親を殺し、弟を呼ばなければ自分(兄)が母親を殺していた。

だれも殺人者になるつもりで、認知症の夫や母親に関わったわけではない。何とか手助け
しようと思ったばかりに、そしてその思いを行動に移したばかりに、その延長で事件を起こ
してしまった。社会はそういう類型の事件として介護殺人を認識して、その予防策を考え、
実行しなければならない。

いくら重い刑罰を科しても介護殺人はなくならない。
必見!Nスペ。