虐殺者と被害者とマスコミの正義

ほとんどの事故や事件で死亡した被害者の氏名やエピソードを記事にするマスコミが、相模原事件では
多くの被害者の氏名を公表しない。二重の差別(差別感で殺され、「あの家の人じゃないか。あの施設
にいたんだ」と差別意識を呼び起こすこと)
を懸念してのことではないかと思う。

これは、ほとんどの事故や事件の死亡者の氏名・写真、エピソードを紹介して、「こんなにいい人が亡く
なった、殺された。気の毒に」
と、定型的な優しさをアピールしているマスコミが、「じゃあ、重度の精神
障害者についてはどう書くの?」
と問われたときに、何も考えていなかったために何も言えず、絶句して
いる姿そのものだ。
これは差別である。

加害者青年の異常な行動を精神異常や薬物濫用で説明し、自分たちとは違う人間だと見切って安心
するのも差別だ。

世の中途半端な同情心に迎合する記事など書くからこういうことになる。
加害者も被害者も自分と同じではないかということをどこまで深く考え想像することができるか。ひとり
ひとり誰もが考えなければならない超難問だ。ステレオタイプの薄っぺらな正義感にはそれを考える力
などない。それ以前に、そんな発想はない。