対「村中璃子」裁判が終結しました

2020年3月7日、東京高裁から封書が届いた。

開封すると、出て来たのはごく簡単な書面だった。

医師・ジャーナリストを自称する「村中璃子」さんが東京高裁判決で池田修一信州大学医学部教授に「勝って」いながら、これに「不服がある」として上告、上告受理申立をしていた件で、東京高裁が、「勝っているのだから、上告の利益、上告受理申立の利益がない」という理由で、最高裁に裁判記録を送ることなく、裁判を終わらせたという決定通知だ。

これで、2016年8月に池田さんが「村中璃子」さんらを被告に起こした名誉毀損訴訟が全面的に終わった。

 

1年前の2019年3月26日に東京地裁が出した原告の全面勝訴判決に出版社のウェッジ社と編集長の大江紀洋さんが従って賠償金を払い、謝罪広告を出したりしたことで、裁判は実質的に終わった。それでも、「村中璃子」さんは控訴し続け、高裁で「勝った」のに、「勝ち方」が気にくわないと上告、上告受理申立をしていたのだ。

 

「村中璃子」さんは、名誉毀損不法行為が成立しないという理由で勝ちたかったようだが、高裁はそれを否定し、ウェッジ社が被告の敗訴分の債務をすべて履行していることを理由に「村中璃子」さんは「もう払わなくていい」という当たり前の「勝訴」判決を書いた。わかり切ったことだ。それを、あえて判決を求めるとは。

 

「勝った」のだから、「村中璃子」には上告の利益、上告受理申立の利益がない。上告、上告受理申立を受け付ける高裁がそう判断することは十分に予想できたはずだ。少なくとも弁護士には。それでも上告、上告受理申立をした。

一体、何のための、だれのための控訴、上告、上告受理申立だったのか。だれにとってどのような意味があったのか。弁護士費用だってかなりかかったはずだ。

 

「村中璃子」さんは、3年8カ月の裁判の間、ついに本名も住所も生年月日も明らかにすることはなかった。裁判でさえ本名を隠し続けた「村中璃子」さんは、今後も「村中璃子」の名前で言論活動を続けるのだろう。それは社会的に責任ある言論なのだろうか。