安倍元首相が殺害されたことについて警察に法的責任はないか

安倍晋三元首相が殺害された事件では警察の対応の落ち度が話題になっているが、ここでは過失責任としての落ち度を考えてみたい。

 

2010年11月4日午前4時過ぎ、「夫が殺される!」と訴える妻の110番通報で秋田市内の弁護士宅に駆けつけた長身で屈強な二人の警察官の目前で夫(弁護士)が身長の低い高齢男性の侵入者に手製の凶器(剪定鋏を解体した片刃)で殺害された事件の国賠訴訟での警察(秋田県)の主張からすると、落ち度はない!

 

警察相手の国賠訴訟では、警察の言い分は、常に、そもそも警察官には個々の市民との関係で法的な保護義務がないというところに立っている。

警察官職務執行法第4条では、「警察官は、人の生命若しくは身体に危険を及ぼ・・・す虞のある・・・危険な事態がある場合においては、その場に居合わせた者、・・・その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、危害を受ける虞のある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、若しくは避難させ、又はその場に居合わせた者、・・・その他関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置を・・自ら・・・とることができる。」と規定している。

秋田事件の原告は、これは警察官の権限を規定しているだけでなく、実際に市民が危険な場面に遭遇しているときは警察官は危険を回避するための行動をとる法的義務があると主張した。

これに対して、県(警察)は、法律は警察官の権限を規定しているだけで、市民との関係での法的な義務を規定しているのではない。警察官は110番通報で駆けつけたのは通信指令課指令室の命令に従って出向いたのであって、110番通報した市民やその家族との関係で避難させる義務が発生しているわけではない。だから市民が警察官の目前で殺害されたとしても、被害者との関係で警察官の法的な保護義務違反という問題は生じない。

この言い分は、被害者が安倍元首相であっても基本的に同じはずだ。

 

県(警察)は、市民に具体的に生命の危険が発生している場合にはその市民との関係で保護義務が発生するのだとしても、犯人が剪定ばさみを解体した凶器を持って来ていたことを警察官は事前に知らなかったし、気づいたのは弁護士がまさに刺されそうになった瞬間だったから弁護士を避難させる時間的余裕はなく、避難させる義務はないと主張した。

 

秋田地裁判決(2017年10月16日)は、具体的な危険が発生している場合には保護義務が発生するとしたものの、警察官が到着してから凶器で刺されるまでの時間が2分25秒しかなかったから、防ぎようがなく、弁護士を避難させることができなかったとしても過失はないとした。判決は、秋田県では殺人事件がほとんど発生しないことから警察官が慢心するのもやむを得ないとまでいい、警察官の過失を否定した。

 

このとき現場にいた二人の警察官の法廷証言によると、二人とも現場対応に問題があったとして懲戒処分を受けていないし、翌日以降もそれまでどおりに勤務していたとのことだから、警察組織内の評価では二人の警察官に特段の問題はなかったということだ。

 

これを今回の事案に当てはめると、安倍元首相の命も法的には個々の市民の命と同じだから、警察官は警察組織の職務命令によって安倍元首相を守っているだけであって、安部元首相との関係で保護義務(危険から避難させる義務)を負っていたわけではない。

 

ただ、安倍元首相にはSP(Security Police)、警視庁警備部警護課の要人警護任務専従警察官が一人ついていたようだが、この警察官も安倍元首相との関係で法的に保護義務を負っていないのだろうか。

 

安倍元首相に具体的に生命の危険が発生している場合には、近くにいる警察官に安倍元首相との関係で避難させる義務が発生するとしても、安倍元首相を殺害しようとしている犯人が手製の拳銃を持っていたことを現場にいた警察官はだれも事前に知らなかった(気づかなかった)。具体的に生命の危険が発生していることに気づいたのは安倍元首相が撃たれた後であったから、避難させようがなかった。

 

秋田地裁判決の考え方だと、安倍元首相が狙われ、安倍元首相を外した1発目の弾丸が発射されたときと安倍元首相に命中した2発目の弾丸が発射されたときの間は約3秒しかなかったということだから、防ぎようがなく、避難させるための行動をとらなかったとしても、警察官には過失はなかったということになる。奈良県では毎年何件くらいの殺人事件が起こっているのか。発生件数が少なければ、それも警察官に過失がなかったと評価する重要な事情になる。

 

仙台高裁秋田支部判決(2019年2月13日)は、警察官は110番通報で駆けつけた時点から110番通報した者やその家族との関係で避難させる義務を負っており、本件ではいくつもの段階で弁護士を保護することができたのに、失態を重ねたとして、警察官の過失を認定した。

 

高裁判決では原告は逆転勝訴しているが、原告が最も問題にしていたのは現場に来た警察官よりも通信指令室の対応だった。現場の警察官の誤った対応は通信指令室の警察官の対応にこそ問題があり、それが事件現場に臨場する警察官の意識と行動に連動し、一連の行為として過失があると訴えた。

午前4時過ぎ、妻が110番通報したときの受理担当警察官は、必死に助けを求める妻に対して、繰り返し住所や氏名を聞き直し、挙句に「旦那さんはいないんですか」とばかな質問をして妻を苛立たせた。指令担当警察官は妻の訴えを聞いているにもかかわらず、現場に向かう警察官らに「喧嘩口論事件、発生」と伝えた。午前4時過ぎで勤務に疲れている警察官は「喧嘩口論」と聞いて、大した事件ではないと受け止めたに違いない。二人の私服警察官は無言で勝手口から上がり込むと、侵入者から拳銃を取り上げた弁護士を無言で抑え込み、直後に侵入者が弁護士の左胸部を凶器で正面から2度、刺し、2度目の刺突が致命傷となって弁護士は死亡した。この間、二人の警察官はずっと無言のままだった。弁護士に「逃げろ!」と言うでもなく、侵入者に「止せ!」と怒鳴るでもなかった。

指令担当警察官の軽微な事件であるような言い方こそが、事件現場に向かう警察官らの慢心を生み、それが現場に立ち入ったあとの警察官らの落ち度の積み重ねに繋がったことは明らかだ。

しかし、地裁判決も高裁判決も、通信指令室の対応には問題はなかったと評価した。

 

安倍元首相が銃撃を受け殺害された事件では、犯人に撃たれたときの警備体制に問題があった。そもそも360度開けた場所で安倍元首相が台の上に上がって数分間立ち尽くすという状況を警察として認めることが極めて危険だったのではないか。その場合、安倍元首相が360度どこから狙われても守れる体勢を作っていたか。SPは安倍元首相の真後ろに立って反対方向を警戒するという立ち方をしなかったのか。犯人が比較的近い位置から1発目を撃とうとしたときにそれを制止できるよう警察官を配置しなかったのか。1発目の弾丸が安倍元首相を外れたとき、すぐに安倍元首相を伏せさせる警察官を配置しなかったのか。

 

秋田事件の弁護団の考え方からすれば、このようなことも警察の過失として問題にすべきことになるが、警察の考え方ではもちろん、秋田地裁、仙台高裁秋田支部の判決の考え方では警察の過失として問題にならない。このような警察の主張や裁判例の積み重ねが警察の市民に対する責任意識を弱めている。

 

その延長線上でみると、判決で負けたわけでもないのに、警察庁がいま落ち度として認めているのは極めて異例だ。多くのマスコミや一般市民が撮影しているなかで安倍元首相という著名人が幾人もの警察官がいる場であっという間に殺害されたことに、何の落ち度もないという弁解がしにくかったからだろう。また、その落ち度もあくまで警察組織内の仕事のありようとしての落ち度であって、安倍元首相の命との関係で法的な責任(過失責任)があるというものではないだろう。

 

これまでの警備公安事件では、安倍元首相が話しているところを前方からヤジるような事案ばかりだった。それが今回は背後から拳銃で撃つというものだった。警備警察が注意を払うべきはどちらなのか。どちらに重点を置くかで、警察官の配置の仕方、配置された警察官が注意すべきことは全く違ってくる。

安倍元首相銃殺事件が、日本の警備警察活動のあり方の根本的見直しを迫っていることだけは間違いない。