信濃毎日の社説に反論する

 信濃毎日は、今日付けの社説で、情報保全諮問会議の運用について批判している。
タイトルは「秘密法を追う 保全諮問会議 隠れみのの実態映す」。

 批判は大いに歓迎だ。関心を持ってもらえているということだから。しっかりした取
材と十分な検討の上での批判は特に歓迎だ。

 しかし、取材もしないし情報公開請求もしないでの言いたい放題は、読者に誤解を
与え、誤った判断を誘導するものであり、報道機関としてきわめて問題だ。情報保全
諮問会議の運用に関わっている事務局にも、様々な視点から検討し意見を述べてい
る委員にも失礼だ。
 社説は冒頭に書いている。
 「第1回会合を開いた後は開店休業状態に。半年後の第2回会合でいきなり、事務
局がまとめた素案を提示―。
 これでは実のある審議はできない。特定秘密保護法の危うさが会議の持ち方にもう
かがえる。」

 一体、だれに取材をしたのか。「開店休業」どころの話ではない。私だけに限らないだ
ろうが、本業をかなり犠牲にして、事務局から提供される資料を読み込み、検討し、詳
細な意見を出している。それを幾度も繰り返している。

 社説は、第2回諮問会議で、「政府はその場で秘密指定の手続き、指定の有効期間
の設定、期間を延ばすときはどうするか、などについて素案を示す考えだ。秘密を取
り扱う人を選定するための適性評価のやり方も提示する。」と書いている。主語は政府
になっている。

 これは、諮問会議の何たるかを理解していない謬見である。
 政府は、諮問会議の意見を受け取る側だ。諮問会議がいまやっていることは、政府
に提出する意見(案)(素案というべきか)づくりである。その中間報告をするのが、第2
回諮問会議なのである。

 だから、社説の、「委員の了承が得られればこの夏にもパブリックコメント(意見公募)
を実施。」という説明も間違いだ。

 社説は「話が違う、と受け止める人が多いのではないか。秘密法の恣意(しい)的な
運用を心配する声が出るたびに、政府は「諮問会議で丁寧に議論してもらっているか
ら大丈夫」と説明してきたからだ。たった2回の会合で素案―ではあまりに乱暴だ。」
と指摘する。

 「大丈夫」とは言い切れないにしても、できることに限界はあるものの、割と丁寧な検
討はしている。去る7月3日には、それまでの書面による意見交換と、事務局と各委員
の意見交換を踏まえて、事務局と委員6人が揃っての意見交換(準備会)を行った。そ
のことは公表されている。「たった2回の会合で素案」という事実認定は誤りだ。

 社説は「この半年間、諮問会議は何をしていたのか。政府の説明によれば、7人の
委員から個別に意見を聞き、素案の取りまとめ作業を進めてきたという。不透明なや
り方である。委員が述べた意見のうち政府に都合のいい部分だけつまみ食いしても、
外からは分かりにくい。」という。

 「政府の説明によれば」とあるが、委員への取材はしないのか。わたしは、朝日、毎
日、讀賣、産経、東京、西日本、道新、高知、NHKなどの取材をこの間受けており、
諮問会議の進め方や、わたしが提案している内容などを説明している。
この間のやり
とりが書面化されていることから、情報公開請求すれば、ある程度の情報が出ることも
説明した。実際は、開示までに時間がかかったり、開示範囲が狭いのではないかという
問題があったりしたが。

 社説は「1月の第1回会合での議論も公開したのは冒頭のやりとりだけ。議事録の
公表は発言者名を伏せた要旨にとどまった。これで「パブリックコメントを」と言われて
も、国民が困るだろう。」という。

 信濃毎日は議事録やこの間のやりとりの記録に関する情報公開請求をしていないの
だろうか。取材もしないし、情報公開請求もしないで、この言い方はないのではないか。

 社説は「政府が内閣府などに設ける予定の三つの運用監視機関はいずれも官僚が
メンバーになる。第三者のチェックにならない。」という。

 ならば、どういう仕組みが現実的にできるのか。それとも、そんなものはない方がよ
い、ということなのか。言いっ放しは無責任だ。

 社説は「衆参両院は先の国会で国会としてのチェック機関を設けることを決めたもの
の、秘密を開示させる強制力は持たせないことになった。確かなチェックは国会にも期
待できそうにない。」という。

 「秘密を開示させる強制力は持たせない」ことを問題にしているが、このような権限が
ある国があるのか。ないのだ。なぜないのかを考える必要がある。その上で、そのよう
な権限が無くても、運用の仕方によっては意味がある。少なくとも、これまでの何も無い
状況よりはマシになり得るのではないか。

 社説は「そして監視機関のうち唯一、外部委員が加わる諮問会議である。この会議
も、政府の隠れみのと言われかねないのが実態だ。」と決め付ける。

 取材もしてもらえない、情報公開請求もしないで、こう決め付けられたのでは話にな
らない。

 そして社説の結論。
 「このまま準備作業が進めば、政府が好き勝手に使えるシステムが出来上がるのは
目に見えている。年内と想定される秘密法の施行はやはり、容認できない。」

 ここが言いたかったのだ、きっと。それはそれでいい。しかし、しっかり取材し、できる
だけ情報を集めた上で批判してほしい。批判された側が「なるほどね」と思える批判こ
そが、対話としての批判になり得るのだ。