マスコミに報道の自粛を強要し続ける官僚群

 日本のマスコミの自粛状況は自己増殖している面がたぶんにあるが、自粛奨励・
自粛当然状況にマスコミを追い込んだ真犯人は裁判所、裁判官たちだ。

 どういうことか。
 一般の人にはわかりにくいかもしれないが、それが官僚的手法なのだが、それは
名誉毀損訴訟の立証責任の負担のあり方だ。

 言論の自由報道の自由が尊重される米国についてみると、原告側は被告(マス
コミ)の「現実の悪意」を立証しなければ勝訴できない。
 公人(public figure)が報道の対象である場合、行為者が、その表現にかか
る事実が虚偽であることを知っていながら報道したか、虚偽であるか否かを無視し
て報道したことを原告が立証しない限り、不法行為責任を負わない
、とするもので
ある。
 立証責任が原告側にある。言論の自由を保障した憲法の下での報道の裁判のあ
り方として合理的だと思う。

 日本の裁判所はどうか。
 日本の憲法では(憲法で、だ!)、表現の自由(21条)のひとつとして報道の自
由が保障されていると解されているので、そのことが十分に配慮され仕組みとして
名誉毀損の裁判の基盤とされなければならない。

 ところが、そうなっていない。
 日本の裁判例(法律ではない!)で、被告(マスコミ)側で、公共性、公益目的、真
実性を立証できなければ
原告に対して賠償責任を負わなければならないとされて
いる。真実でなければいつも被告側が敗訴するのでは、被告側に過酷なので、裁判
例で、「真実と信じるにつき相当な理由があればいい」と緩和されているが、これで
救われるわけではない。それでも裁判官(たち)が「相当な理由がある」と受け止め
てくれるかどうか触れ幅はかなり大きい。バクチだ。

 わたし自身、ジャーナリストの櫻井よしこさんが名誉毀損不法行為で訴えられた
ときに代理人として関わったが、一審・東京地方裁判所/全面勝訴、控訴審・東京
高等裁判所/全面敗訴、最高裁判所/全面勝訴
という体験をした。
 結果からすれば、最高裁で逆転勝訴したのだから嬉しくもあるが、それまでの過程
のたいへんさは外部には図りしれないものがある。
 
 「現に訴えられると、本業の記者の仕事どころじゃないんです」と、ベテランの記者
たちだれもが言う。
 北海道新聞の記者が元北海道警幹部に名誉毀損で訴えられたときに、わたしは記
者の代理人をして一審・札幌地方裁判所、二審・札幌高等裁判所最高裁判所と関
わり、記者たちに訴訟対応のために多大な精神的、時間的、経済的負担をかけさせ
てしまった。彼らは本当に疲れ果てていた。返り討ちによる完全勝訴を確信して臨ん
だ裁判だったが、一部敗訴のまま確定した。判決文を読み返すにつけ、裁判官の(警
察官僚を当事者とする裁判で警察側を負けさせたら、自分の将来はないという恐怖
心?による)恣意的な事実認定に怒りを感じ、立証責任の不合理さを痛感する。

 わたしのようにたまたま記者の代理人になった者でさえ、不合理な立証の負担にう
んざりしたくらいだから、新聞社も記者も訴訟沙汰にはしたくない、と自粛する気持ち
で日々の仕事をするようになるのは当然かなという気がする。

 そういう職場に新人の記者たちが入ってくれば、その場の「空気」を読んで、「了解」
してしまうにちがいない。

 秘密保護法違反を口実とする捜査機関の暴走を問題にするまえに、この裁判例
を立法で変えないと(裁判所が判例変更してくれるとは思えない!)、日本のマスコ
ミの自粛傾向はこれからも止まらないだろう。

 報道の自由が直面している脅威は秘密保護法以前に裁判所なのである。