驚きの、船長に死刑求刑

 4月16日、韓国南西部の珍島沖で起きた客船「セウォル号」沈没事故は、
沈没の諸原因といい、沈没後の救出対応といい、韓国という国の諸機関が
本来なされるべき業務を行えていないことを露呈した。
 
 船舶を所有していた会社はひどかった。船長も船員も呆れるほどひどかった。

 会社社長は自殺した。
 今月27日、元船長らに対する刑事裁判の論告求刑が光州地裁で行なわれ、
検察官は元船長に対して死刑を、1等航海士ら3人に無期懲役を求刑し、残
りの11人に対しては、懲役15〜30年を求刑した。彼らには乗客に対する殺
意があった
というのだ。

 これは、世論に迎合した暴論だ。
 まるで韓流ドラマの世界。船長や船員はあの事故のときに死ぬべきだったの
だと言わんばかりだ。

 船長や船員が逃げ出したことはどう考えてもひどい。ひど過ぎる。
 しかし、「だから死刑」でいいのか。それで何が解決するのか。

 船長や船員が逃げ出したとしても、乗客の全員またはほとんどを救出するこ
とは可能だったのではないか。
 事故発生直後の現場の状況について情報の誤り(すでに救出された、すぐに
救出されるというような)があった。それは混乱した現場では起こり得ることだ。
だから、幾重にも正確性の確認をしなければならない。しかし、この事故ではそ
の情報が正しいかどうかの確認作業を怠った。そのために救出活動の始まり
が遅くなり、事態を深刻化させたのだ。
最初に誤報を流した者の責任も、その
後チェックしなかった者の責任もきわめて重い。
 ここがしっかりしていれば、船長たちが逃げ出していても、船外からの救助活
動が迅速に行われ被害は発生しなかったか、ほんのわずかで済んだのだ。
 日本の海上自衛隊海上保安庁による救出活動の申し出を断わったのは
韓国政府だったのではないか。
この申し出を受け入れ、韓国の救助隊と連携
していれば、やはり被害はずっと少なかっただろう。

 船長や船員が死刑や極めて重い処罰を受けるべきだとすることは、乗客が
死亡した責任をすべて船長、船員に負わせ、救出活動に関して重大なミスを
犯したほかの人たちの責任をすべてゼロにするということではないか。それは
おかしい。

 船長らを死刑や無期懲役などにすることで、被害者遺族や国民みんなが溜
飲を下げてはいけない。
溜飲を下げてしまうと、その時点でこの事件は過去の
出来事になって、人々の意識から瞬く間に消えてゆくからだ。

 この事故と事故の救出活動の経過を韓国の国民は忘れてはいけない。そのた
めには、だれがなにをどうすればあのような事故は起こらなくなるのか、事故が
起こってもすぐに的確な救出活動ができるようになるのか、ということを、国民が
具体的に考えることだ。
 この問題には完璧な正解はない。考え実践しどこか失敗し、考え実践しどこか
失敗し、その繰り返しになる。そういう努力を積み重ねることが、この事件を忘
れないということであり、亡くなった人たちに対して礼を尽くすということではな
いだろうか。

 判決は11月11日に言い渡される。
 韓国社会の未来のために裁判官には理性ある判断を希望する。