路上の弁当販売が消える?

東京新聞は東京ローカル新聞だ。
東京ネタ、しかも、都政の重要課題にさえならないようなネタが
1面トップを堂々と飾る。
今日の夕刊トップは、「路上の弁当販売 都心から消える?」と
いうネタ。こんなネタは、都心で働く者、その中でも昼飯代を節
約しなければならない者にしか関係がない。


記事では、「サラリーマンの昼の味方」と書いているけれど、弁
護士だって食べている人は少なくないと思う。裁判所内の裁判官
だって安い仕出し弁当を食べている。昼近くになると、裁判所内
を大量の弁当を運んでいる出入業者を見かける。
安くて、そこそこ美味くて、一応栄養バランスも考えてくれてい
るみたいで、わたしもたまに路上販売の弁当を買って食べている。
昼どきの活気的な雰囲気としても悪くない。


海外に出かけると、大抵の都市で、昼どきなどに路上で弁当を売
っている人たちを見かける。そこでも、その辺りで働いている人
たちが買って、食べている。わたしも中国やタイで食べたことが
ある。つい、出された水を飲んで、後から体調を崩したことがあ
るけれど、火を通してある食材の弁当なら大丈夫!・・・だと思う。


それを、日本では、東京都が衛生面で問題にするらしい。
東京都食品監視課の課長さんは、「日なたにとどまって販売すれ
ば、温度管理ができないリスクがある」と言っているらしいけど、
この人は買う者の目線で観ていない。自分の仕事として、万が一
を考えているだけではないか。


弁当を買う者にだって、リスク計算の発想はある。路上弁当なん
て、どこのだれが作っているかわからないし、ひょっとしたら食
中毒にならないか、程度のことは、だれでも考える。昼の弁当で
失敗して、午後の仕事に差し支えたり、翌日も仕事を休まなけれ
ばならなくなるなんて真っ平だ。


だから、新しい路上弁当屋が出て来ても、だれもがすぐに飛びつ
くわけではない。慎重に他の人の様子を窺い、どうも美味いらし
い、心配もないらしいとなって、じゃあ自分も買ってみるか、く
らいの思考と行動選択をしている。


売る側も買う側の心理をわかっている。
1つ弁当が売れて、一体いくら儲かるのだろうかと不思議に思う
くらいの利益幅の小さい商売だから、買う側の信頼を得ることが
何よりも大事。それが1回の失敗ですべて失われることの恐ろし
さも知っている。そうであるだけに、販売している弁当が悪くな
らないよう細やかに配慮している。それが買う側から観てわかる
からこそ、買うのであり、売れるのだ。
お上(監視員)が目を光らせているからではない。


実際に、都内では路上販売弁当で食中毒事件が起こったことはない。
それなのに東京都が規制に乗り出すというのはどういうことだろう。
実害が生じていないのに行政が取り締まりに動くとき、なにか、
とても怪しい。
東京都の動きを監視する必要がありそうだ。