警察官と検察官と裁判官の暴走は止められるか

 昨日、静岡地裁で再審開始決定が出た袴田事件でも、決定内容からすれば、
静岡県警と静岡地検の合作ともいうべき冤罪。

 裁判所が再審開始決定に続けて釈放の手続をしたのは驚いた。そこには、
袴田氏の無罪に対する確信がある。と同時に、78歳に達した袴田氏にこれ
からの生きている時間を自分の意思で使えるようにさせなければいけないと
いう、人間としての配慮がある。

 しかし、静岡地検が即時抗告し、東京高裁が決定を覆せば、あるいは最高
裁が決定を覆すことになれば、袴田氏は再び収監され、やがて死刑を執行さ
れることになる。
 
 そうなれば、再審開始決定、勾留の執行停止をした裁判官たちは、検察組
織、最高裁を頂点とする裁判官組織に歯向かった反逆者としての烙印を押さ
れ、裁判官をクビにはならないものの、出世の道を完全に断たれ、定年まで
ひっそりと支部周りしかさせてもらえない人生を送ることになるだろう。

 この再審開始決定が覆るようなことが起これば、そのときこそ、この国で
暮らす人々はこの国の刑事裁判官が警察と検察の暴走を止める役を果たすど
ころか、補完する役割を果たしているという現実を思い知ることになる。

 ところで、最初の有罪判決を新人裁判官のときに起案した熊本典道氏は、
この判決を書いた翌年に、憲法上、身分を保障されている(つまり、「かな
りのこと」(この評価が微妙)があってもクビがない)裁判官の職を辞し、
以後、苦しみの人生を歩む。

 熊本氏に有罪判決を書かせた2人の先輩裁判官たちは、おそらく定年まで
ふつうに裁判官人生を送ったのだろう。どんな思いで、袴田氏のこれまでの
再審請求をみてきたのだろうか。そして、今回の再審開始決定をどう受け止
めているのだろうか。

 しかし、どの報道にも2人の元裁判官の名前も釈明も出ない。なぜだ。

 当時の事件担当の検察官の見解も、当時、証拠のねつ造に関与した警察官
たちの見解も、報道にはまったく出て来ない。
なぜだ。

 新聞、テレビ全社が横並びで「配慮」している?

 袴田氏の死の恐怖とは比べものにならないが、警察官、検察官、裁判官と
いう職業はのちのち過去の仕事の仕方について社会から説明を求められる場
合があり、そのとき誠実に答えなければならないという恐怖があるべきだ。
その恐怖を、現職の警察官、検察官、裁判官にしっかり自覚させてこそ、現
在日々起こりつつあるねつ罪や、冤罪をいくらかでも少なくすることに役に
立つはずだ。

 週刊文春週刊新潮、どこでもいいので、取材して記事にしてもらえない
だろうか。