公訴棄却判決と被害者遺族の怒り

 殺人事件を起こした男性について、裁判所が公訴棄却の判決を出した。無罪判決
ではない。もうこれ以上この人について刑事裁判をしないという判決だ。

 時事ドットコムのニュース(2014/03/20)によると、
 ≪愛知県豊田市で1995年に1歳男児と祖父が殺害された事件で、殺人罪など
で起訴され、訴訟能力を失ったため公判手続きが約17年間停止されていた男性被告
(71)の第8回公判が20日、名古屋地裁岡崎支部であった。国井恒志裁判長は
「訴訟能力の回復は見込めない」と述べ、公訴棄却の判決を言い渡した。
 国井裁判長は判決で、「非可逆的な統合失調症で意思疎通能力が失われている。
黙秘権の理解どころか人定質問すら成立しない」
と判断。「検察官が公訴を取り消
さない場合、公判を打ち切ることは裁判所の責務だ」
と指摘した。
 被告は95年5月、豊田市の神社で近くに住む塚田鍵治さん=当時(66)=と
孫翔輝ちゃんを包丁で刺殺したとして、同年9月に起訴された。公判手続きは97
年3月に停止され、入院して精神鑑定などを受けてきた。
 父と息子を亡くした塚田克明さん(51)は判決後、「司法の判断には怒りしか
感じない。審理を継続してほしかった」
と話した。
 名古屋地検の大図明次席検事は「このような措置が許されるのか検討の上、上級
庁とも協議して適切に対処する」とのコメントを出した。≫

 刑事裁判は、被告人が犯罪を犯していることが確認できたら処罰する、という制
度だ。刑罰を科することを通じて犯罪を犯したことを反省してもらうということだ。
刑事裁判で責任能力が問題になるのはそのためだ。
 だから、責任能力がないことが捜査段階ではっきりしている人については、マス
コミや世間がいくら大騒ぎしても、検察官は起訴しない。

 豊田市の事件の場合、被告人は「非可逆的な統合失調症で意思疎通能力が失われ
ている。黙秘権の理解どころか人定質問すら成立しない」というだとすると、証拠
の確認も事実経過の証言も期待できないわけで、およそ刑事裁判が成立しない。
 裁判長が「裁判を終わりにする」と判断することは理解できる。
 しかし、この公訴棄却の判決が手続き的に正しいかどうかは単純ではない。
 刑事訴訟法には控訴棄却判決ができる場合を個別に規定している。その中に今回
の場合に当てはまる規定があると読み込めるかどうかは検討が必要だ。他方、検察
官はいつでも公訴を取り消す(取り下げる)ことができ、このとき裁判長は公訴棄
却の決定をすることになる。これについては刑事訴訟法に規定がある。裁判長が担
当検察官に相談して検察官に公訴を取り消してもらえばよかったのではないか。あ
るいは、それがうまく行かなかったのかもしれない。どうしてうまく行かなかった
のか。ここが問題だ。

 このことよりも、被害者遺族の怒りがコントロールされていないことの方が気に
なった。

 日本社会では個人は社会正義の実現のために努力しない。考えもしない。そんな
ことをしなくても、だれかがやってくれる「安心安全社会」なのだから。そういう
社会では、個人の怒りは権力装置(警察、検察、裁判所、刑務所)が自動的に満足
させてくれる・・・?

 しかし、自分の怒りをどのようにコントロールするかを常に意識的に考える人々
が増えないと、個人の怒りは正義として祭り上げられ、正義を疑い批判することを
許さなくなる。
 個人の怒りが集団の怒り、国家の怒りに成長して行ったとき、国家の怒りは国家
の正義となり、権力装置(軍隊)が外国に対して正義を行使することを人々は熱烈
に支持するようになる。

 内面の問題として怒りをなくせというのではない。なくせるはずがない。自分の
言動が社会的影響を与えてしまいかねない場面では自制する必要がある。理性的に
コントロールする努力をしていない怒りは、剥き出しの感情に過ぎない。わかりや
すいが、社会はこれを社会的正義の実現の御旗にしてはいけない。