「負けたら窓から飛び降りて」

 朝日新聞デジタル(8月12日(火)12時1分配信)に呆れた。

 ≪長崎県雲仙市の小学校で6月下旬、40代の男性教諭が休み時間中、担任する6年生の男子児童に「ゲームで負けたら窓から飛び降りて」と発言し、市教委から文書訓告の処分を受けていた≫

 ≪教諭は道徳の授業参観が始まる直前、校舎3階の教室で児童らと数字を言い合うゲームをした。男子児童が「先生に勝てます」と言った際、負けたら飛び降りてもらうという趣旨の発言をした。≫

 ≪訓告は7月31日付。教諭は「今後このようなことがないよう言葉に十分気をつけながら、子どもたちと接していきたい」と反省しているという。≫

 驚いたのは、記事の末尾
 ≪教諭は、2004年に小学校6年生の女児が同級生を殺害した事件が起きた同県佐世保市の小学校で2人の担任を務めていた。≫

 この事件以来、長崎県教委では、「命の大切さ」を教える教育を続けてきたらしい。
 「命の大切さを教える」という発想と姿勢がどうかなあ、と思っていた。そういう建前論で状況を変えようとしても、相手はしっかり見抜くものだ。「口先だけではないか」「本気で考えているのか」

 そして、この40代の男性教諭のこの言動。言葉尻を捉えられただけで、子どもたちとはとてもうまくいっている関係だったのなら、とんだ災難だ。しかし、子どもたちとの関係が???なら、冗談では済まない。男性教諭の言動は手前勝手の暴言だ。彼の中には、命の大切さという柱がないのかもしれない。組織一丸というとき、ひとりひとりは置いてきぼりで、組織の方針に合わせるだけ。自分の思考はない。
 40代の男性教諭は、自分の教え子であるふたりの女の子の事件をどんなふうに自分の人生に織り込んでいるのだろうか。自分ひとりで考え抜くことをしないで、県教委という組織の方針に従って、組織の一員として取り組んで来ただけなら、彼の心の中には女の子たちはいない。

 命の大切さは、教育委員会という組織が先生を介して子どもたちに教えるものなのか。