海上自衛隊のいじめ自殺事件と情報管理能力

 特定秘密保護法の運用基準(案)を作りながら考えていること。
 それは、単に重要な情報を国民に見せないようにするということではない。情報管理の一分野として
考えると、重要な情報の漏えいを厳格に防ぐことだけでなく、管理運営に問題があれば、その状態は
すみやかに改善されるよう、これを改善できる部署に速やかに伝達されなければならない。

 海上自衛隊員がいじめを原因に今年1月に自殺していたことが、最近、発覚した。
 厳しい規律といじめは明らかに異なる。そんなことは、その組織にいる者だれにも明らかだったはず
だ。ときには命の危険にさらされながら組織一体となって活動しなければならない関係にある者同士の
間でのいじめとこれを原因とする自殺。
 しかも、報道によると、少なくとも35人がいじめの現場を目撃していたとのこと。これはまるで小中学
生の子どもたちの世界で繰り広げられるいじめ自殺事件と同じレベルではないか。

 報道によれば、自殺直前の相談で被害者と加害者を同席させて聞き取りをしていたという。これでは
被害者は心理的圧迫の下で本心を十分に語ることはできない、語ろうとしても、加害者である上司と、
聴き取りをしている幹部を相手にする心理的負担はそれ自体が過酷なものだったにちがいない。この
程度の常識的な推測さえできない者が幹部となっていることに呆れる。組織がこのような幹部の存在
を許容しているということだ。

 こんなことを起こしながら、海上自衛隊は、2004年に護衛艦に勤務する隊員が自殺した事件で、今
年4月にいじめを認定する判決を受けていた。裁判の間、裁判でなにが問題にされているかということ
が、組織全体では全く他人事になってしまっていたのだ。学習能力なし。

 多くの者が過酷ないじめを目撃しながら、だれもこの違法状態を止めようとしなかった。
 幹部の鈍感さがゆえに被害者は自らの被害を通報する(十分に訴える)ことができなかった。
 幹部は切実な訴え(情報)を聴き取る能力を欠いていた。そのことが組織として問題にされてこなかっ
た。

 この組織が違法な秘密指定をしないだろうか。
 逸脱した指定がなされたとき、だれかがこれを止めることができるだろうか。
 上司のルーズな運用を部下が止めることができるだろうか。
 内部通報に適切に対応できるだろうか。
 組織に学習能力があるだろうか。

 情報管理のルール(運用基準)はどのようにでも作れる。しかし、そのルールを運用するのは人だ。
ルールをいくらよくしても現場がこれに対応しないのであれば、ルールには何の存在意義もない。その
ような組織に特定秘密を扱わせることはできない。