まともすぎる池上彰氏の文章と、朝日新聞のこれから

 一転、朝日新聞が、今日の朝刊に、≪(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証 訂正、
遅きに失したのでは≫を掲載した。

 昨夜、この展開を知って驚いた、というか。呆れた、というか。やっぱりな、というか。
 池上氏の原稿をボツにしたことは、一編集者の気まぐれではなく、朝日新聞社の組織決定
だったはずだ。その組織決定に際して、ボツにすれば社会の強い批判を浴びるだろうという
ことを、はっきり予測していたはずだ。それを、なぜ、方針変更することになるのか。

 実際に実行したら、予想以上の批判が出たので慌てた?
 だとすれば、世の中を嘗めているし、報道人として読みが甘すぎる。

 池上氏の文章を読んだ。
 あまりにもまともでふつうの文章なので驚いた。
 ≪過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれ
ば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべき
ではないか。≫
 違和感は全くない。これのどこが掲載を拒否されなければならないのか、理解できない。

 「吉田氏が済州島慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だ」という指摘は、92年に
産経新聞でなされており、朝日新聞はこのときに反論できなかったことで、すでに誤報を自
覚したはずだ。

 しかし、朝日新聞は今年8月5日、6日付朝刊で、「慰安婦問題を考える」と題する検証記
事を出すまで、22年間、沈黙を続けていた。
 これは、報道機関としてきわめてまずい対応だ。誤報は速やかに訂正する。これは報道の
作法の基本中の基本だ。池上氏の≪遅きに失したのではないか≫という指摘は当然だ。

 池上氏が指摘するように、22年も遅れた理由の説明も検証記事中にない。
 この検証記事には幾人もの記者が関わっているはずだ。そこでだれも、訂正記事が22年
後になったことの説明の必要性を考えなかったのか。そうだとすれば、ずいぶん読者を嘗め
た記者揃いだ。

 中途半端なことをしたら、あっちこっちから突っ込まれるのは当然だ。そのことが読めない
ことがすでに上から目線になっている。読めなかったから、慌てての、一転となる。これはか
なりみっともない。
 みっともないが、すでにしてしまったことだ。どうせ、みっともないついでに、潔くしっかり説
明し切ってしまえばいい。それが起死回生に繋がるカッコいい対応だ。
 いまからでも、補充説明すべきだ。

 朝日新聞社の上の方の人たちは現場の記者たちのことを考えて決断してほしい。