朝日新聞のおわび記事

 9月6日、朝日新聞が朝刊に報道局長名でおわび記事を出した。
 読んだ。朝日新聞としては大決断のつもりなのだろうが、まだ、往生際が悪い。

 記事には、朝日新聞が怯んだ理由が抽象的にだが書かれていた。

 ≪8月5、6日付朝刊で慰安婦問題特集を掲載して以来、本社には言論による批判や評価が寄
せられる一方で、関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いていまし
た。≫

 なるほど。だが・・・
 20年以上の長い間沈黙し続けた誤報についての訂正記事なのだから、「虚偽だ」と訴えて来た
側から強い批判や非難が巻き起こることは想定したはずだ。問題の記事に関わった人たちへの
個人攻撃が起こることも想定したはずだ。営業妨害的な行為も十分に予測できたはずだ。

 掲載時期も掲載内容も準備して決めたことだ。日々の記事ではないのだから、朝日新聞としては
このようなことへの対応策を万全に立てていたのではないか。
 どのような反響にせよ、新聞紙上で特集記事にするという手があった。想定を遥かに超えるひど
いことが次々に起こったというのであれば、刑事告訴や仮処分など法的にとれる対抗策を迅速に
実行すればよかった。これらも実行したのだろうか。
 特集記事後に何が起こり、そのとき何をするかを詰めていなかったとすれば、組織防衛があまり
にも甘い。権力の圧力に屈する以前のレベルだ。

 その甘さの延長で、
 ≪こうした動きの激化を懸念するあまり≫
 池上氏の原稿をボツにしたのであれば、言論人集団としてひ弱すぎる。

 言葉の力で世の中に影響を与える仕事をする人は詭弁を弄してはいけない。
 しかし、記事では、池上氏の原稿をボツにしたことをそのままにして、「連載中止を決めたわけで
はない」とコメントしたことの詭弁について、何の反省もない。

 記事では、
 ≪今回の過ちを大きな反省として、原点に立ち返り、本紙で多様な言論を大切にしていきます。≫
とあるが、どのような反省をしたのかがわからない。

 ≪今回の過ち≫はどこまで遡った過ちなのか。その内容如何で≪反省≫の内容も全くちがってく
る。池上氏への対応だけのことか。20年以上の長きにわたって訂正が遅れたことか。
 それによって、立ち返るべき≪原点≫もちがう。

 朝日新聞言論の自由を守る気があるのであれば、組織も記者もタフにならなければならない。
現場の記者のタフな仕事ぶりを徹底的に守るタフさが組織に必要だ。現場の記者の取材を制限し、
組織の安泰を図るようなことがあってはならない。