秘密保護法の報道はこれでいいのか?

 いま、秘密保護法はどうなっているか。
 先週、マスコミ倫理懇談会の全国総会に呼ばれて、分科会で、秘密保護法に関する報道の
あり方の問題について話してきた。

 このときの様子を、東京では毎日新聞が昨日付で割と大きく取り上げている。ベタ記事だ
と読者にはなにがあったのかほとんどわからないので、特集記事にしたことはいいことだ。
記事はわりとよくまとまっている。

 わたしがいちばん言いたかったのは、秘密保護法案成立後のマスコミの報道姿勢だ。
 予想はしていたが、昨年12月の法案の成立前後で、わたし(だけでなく日弁連)に対する
取材がガラッと変わった。法案成立前は取材が殺到していたが、成立後はほとんどなくなっ
た。
 マスコミしてみれば、国会で法案が成立するかしないかが決まるまでが「祭り」として盛り
上がる場であって、それ以後はまるで関心をなくしたかのようだ。

 (法案の概要しか公になっていない、条文がわからない時点から法案に賛成していた新聞
は論外。完全無欠の法案なんてないのだから、賛成するにしても、どこに問題があるかを読
者に知らせる責任があるはずだ。)

 わたしが今年1月17日から情報保全諮問会議のメンバーに加わった以降、讀賣新聞の取
材依頼が来た一方で、法案に強く反対してきた新聞社のうち毎日新聞東京新聞はたまに
取材依頼があるものの、朝日新聞からの取材依頼は全くなくなった。

 どうも反対派の新聞社は、わたしの言葉を記事にすると法律に賛成しているように取られ
かねないと判断して、わたしから遠ざかっているのかもしれない。その微妙な感覚はわかる。

 今でも法律には反対だという考えも理解できる。
 しかし、ただひたすら反対だけの記事で状況を変えることができるだろうか。法律が成立し
たからこそ、その内容をリアルに考え、リアルな感覚から問題を指摘し続けるべきではない
か。それをしないで、このまま法律が施行されれば、その時点で反対運動的記事の掲載は
終わりということだけでよいのか。

 法律に反対することとは別に、と言うか、そうであればこそ、「祭り」にはならない、地味な
話だが、いま、秘密保護法の施行準備がどのように進んでいるかということを国民にていね
いに知らせる必要があるのではないか。

 国家公務員、地方公務員(警察官)、大学の研究者、民間企業の従業員だけでなく、国会
議員も、これから秘密保護法とリアルにつきあっていくことになる。
 秘密指定は適正に行われるか。指定解除も適正に行われるか。
 適性評価制度では過剰な調査は行われないか。そこで集められた個人情報の目的外利
用は厳格に禁止されるか。
 内部通報者は保護されるか。
 報道の自由は守られるか。
 難題が山積み。

 ところで、報道の自由が守られるということはどういうだろうか。
 報道の自由を奪うのは国家権力だけではない。もっと危険なのはマスコミ各社自分自身
だ。
 報道規制をされなくても、各社が自分の判断で「事件」でもない「祭り」でもない地味な事
実の取材を嫌っているうちに、状況は後戻りできないほど大きく変わり、国家権力が報道規
制をするまでもなく、報道の自由は自滅してゆくだろう。