だれがひとりひとりの安全を守るか?

 産経新聞 3月10日(火)15時19分配信記事によると、

 ≪兵庫県洲本市の5人刺殺事件で、被害者側の家族は市役所の法律相談を利用したり、
警察にパトロールの強化を求めたりするなど以前から助けを求めていた。≫

 市の法律相談は適切に対応できていたのか?

 と言われると、市は法律相談にもっとカネをかけるか、法律相談を止めるかのどちらかに
なる。
 もっとカネをかけても、所詮は相談だから咄嗟に展開のときに人の命を守れるはずがな
い。法律相談を止めれば、今後同じような事件が起こっても、市は住民やマスコミに非難さ
れずに済むけれど、法律相談が必要な人が相談を受けられなくなる不便はどうでもいいの
か、という問題が残る。

 警察のパトロール強化が弱かったのではないか?

 と言われると、警察は、「もっと予算をつけてくれればやりますよ」というだろう。
しかし、無尽蔵に予算がつけられるわけではないし、狙われている家族の家を数人の警察
官が深夜も土日もずっと監視し続けるなんてできっこない。人を守るということが目的なの
だから、狙われている人が外出するとき、いつもそばについているというのも現実味がない。

 警察にいくら予算をつぎ込んだところで、完璧に人の命を守ることはできないのだ。

 ポイントは事件現場近に住む女性のコメント。

 ≪「地域のつながりが深い場所だけに、迷惑をかけないように気をつかって警察や行政
にしか助けを求めなかったのかもしれない。相談してくれていたら、みんなで支えてあげ
ることもできたかも…
」。現場近くに住む無職女性(51)はうなだれた。≫

 近所に住んでいる人たちは、ずっとそこに住んでいるわけだから、その地域でのわずか
な異変にも気づきやすい。地域の中にわからない家や家族(の一部)がいれば、そのこと
自体も地域で共有されている情報だ。
 だから、今回のような人の生命が危険にさらされていたような切羽詰った状況では、近
所に迷惑をかけていいのだと、お互いが割り切って考えなければいけないのだ。
そして、
近所同士で情報連携していれば、異変に気づき、注意し合うことができ、警察官が来るまで
近所の人たちによって匿ったり、守ったりすることができる。

 そういう連携がなかったからこの女性は、
 ≪女性は最近パトカーがよく通るようになったのに気づいていたが、「ただの巡回」と思っ
ていたという。≫

 だれかに狙われているなんていうことを近所の人に言うのは恥ずかしいかもしれないけ
れど、だれだってちょっと他人に言いにくい、恥ずかしいということはある。でも、近所の人
たちだからこそ助けてくれるということだってある。ひとりひとりの命は身近な人同士の助
け合いで守る。
これを基本とすべきだ。