PTAから考える

首都大学東京の木村草太准教授(憲法学)が沖縄タイムスにコラムを書いて
いる。
【木村草太の憲法の新手】(5)憲法からみたPTA 強制的な加入 許されない
(2015年4月5日)を読んで、納得。そうなんだよ。

≪PTAとは、学校に通う子どもの保護者(Parent)と教師(Teacher)からな
る団体(Association)だ。法的には、ボーイスカウト等と同様の「社会教育
関係団体」とされ、任意加入団体だ。加入を強制することは、憲法21条1項
の保障する「結社の自由」に反し、許されない。≫

戦後の一時期は、「任意」加入の団体であっても、任意の意味をほとんどの国
民がわかっておらず、学校関係であれば、学校から言われれば、「協力して当
然」という対応になる。
それがずっと続いて来た。

≪通常、何らかの団体に加入する場合には、加入希望者が加入を「申請」し、
団体の側がそれを「承認」する手続きが踏まれる。自ら加入申請しなければ、
知らないうちに団体に加入させられることはなく、団体の側は、その人の存在
すら把握しようがない。≫

理論的にまったく正しい。

≪ところがPTAの場合、学校や特定保護者などを通じて、全校児童・生徒の
名簿の提供を受け、任意加入であることを告げずに、保護者全員に役員等の
就任や会費納入を求めるお知らせを配り出すのが一般的だ。≫

これは詐欺だ。なぜかと言うと・・・

≪PTAは学校とは独立した団体だから、名簿流用は、個人情報の流用となり、
違法だ。また、任意加入であることを告げずに加入させるのは、詐欺的だろう。≫

≪近年は、さまざまなメディアで、PTAが任意加入であることを伝える機会も増
えてきている。しかしながら、任意加入制が実現しているPTAは少ない。PTA
幹部が、PTAの崩壊を恐れ、任意加入の周知を避けてしまうからだ。≫

そうだろうか。ほとんどの人(親、保護者)は、PTAに関心もなく、関与する気
もなく、しかし、入拒否を考えることなどない、
ということではないか。

≪考えてみれば、強制しないと加入者を確保できないということは、PTAを嫌う
人が多いということだ。実際、PTAでは、役員の押し付け合いをめぐるトラブル
が絶えない。「子どものため」という立派なスローガンの裏で、嫌がらせが横行し
てしまう。≫

ちがうな。
強制する必要など無い。PTAを嫌う人が多くても、ほとんどの人は加入するの
だ。だから、押し付け合いになり、嫌がらせが横行のだ。
日本以外ではこういうことにはならない?
嫌がらせはない?
日本以外ではどうしているんだろう?
日本以外が理想的にできているとは思えない。日本で、学校と保護者の関係が
うまくできていないとすれば、それは現状を前提に、現状に合わせるとすれば、
どのようにすることが最も合理的かという検討分析がされていないからではない
か。

≪こうしたPTAの状況は、私たちの社会が「嫌がらせのための強制」に対する
抵抗力が弱い社会であることを示している。≫

PTAだけではない。
加入しないとおかしいと思われるのではないかという危惧感から、多くの人が加
入している団体は、日本社会に無数にある。

日本以外では嫌がらせのレベルではない。

≪もしも国家権力が、「若者の祖国を愛する気持ちを育てる」とのスローガンの
下に、無意味なボランティア労働を強制したとしても、抵抗は難しそうだ。徴兵
制への懸念は払拭(ふっしょく)できない。≫

国家間、民族間の対立が深刻な地域では、自分の生存を賭けて愛国心に忠
誠を示すことになる。
日本とは情勢がまったくちがう。

PTAで嫌がらせが生ずる原因は、多くの場合、「本当に困っている人」への
想像力の欠如にある。

そうだろうか。そうかもしれない。だれもが本当に困っている状態になれば、こ
んな想像力は必要ない。

≪多くの人にとっては、PTA強制加入の不利益は、ちょっとの我慢でやり過ご
せる。嫌々でも付き合っておいた方が、改革に向けて努力するよりも楽だ。しか
し、一人親で多忙を極める人にとっては、子どもとふれあう貴重な時間を奪うこ
とになる。センシティブな病を抱える人にとっては、耐え難い心労となる。≫

そうかもしれない。

≪こうした「本当に困っている人」への想像力こそ、異なる人々の共同的な意思
決定、つまり民主主義の基盤だ。基地問題に「本当に困っている」沖縄の人々
であれば、PTA強制加入の深刻さも理解して頂けるのではないかと思う。≫

が、こういうオチにはならないと思う。なぜなら、どこの社会、どのような集団で
も、強い者の意見が優先される
からだ。
重要なことは、それを承知の上で、少数派の意見に真摯に耳を傾けることを自
分に強制し、取り入れる努力をさせることができるかだ。