学校で指紋採取、のなにが問題なのか

朝日新聞デジタル 5月25日(月)19時8分配信
≪東京都立川市の市立小学校の30代男性教諭が担任する6年生のクラス全員から指紋
を採取した問題で、市教育委員会「いじめに対処しようとした結果であり、今後も担任は
据え置く」
と決めた。≫

市教委は学校の先生の出向先。いわば学校の先生の仲間内。「いじめに対処しようとし
た」という動機目的さえ正しければ、やられた側の子どもたちの気持ちは軽くみる。それで
いいのか。

≪市教委によると、この教諭は採用されて数年。「熱心で期待できる教員」として、クラスを
5年生から持ち上がりで担任していた。今年度に入って、1人の女児がいじめられていると
思われる出来事がいくつか発覚した。何度か児童たちに指導したが、今月になり、女児の
靴に画びょうが入れられる事件が起きた。≫

だれが「熱心で期待できる教員」と評価しているかが問題だ。子どもたちが高く評価してい
るのならともかく、そういうことではなさそうだ。

「指導」?
学校はいつも上から目線の「指導」。内容とやり方で効果はちっともないことだってある。
逆効果のことだってある。それでも、「指導」と言えば全部正しい!・・・?

「何度か児童たちに指導したが」ということは、指導が子どもたちに合っていなかったので
はないか。

教諭はクラス全員から個別に聞き取りをし、その際に指紋を採取した。「いじめの抑止
につながると思った。犯人捜しのつもりはなかった」と説明しているという。≫

全員を取調べ。先生VS子どもたち全員。ご苦労さん。で、犯人は割り出せなかったんで
しょ。ということは、いじめの対象となっている女の子はますます孤立を深めているはずだ。
「あんたのせいで、わたしたちはまるで犯人扱いだ」。

こういう対立の構図をつくることがまちがいなのだ。犯人じゃない子どもたちも、先生のこ
のやり方のせいで、先生に対する不審感をいだくようになり、結果として、先生が守ろうとし
ている女の子との距離をつくってしまうことになってしまったのではないか。犯人を探し出そ
うとすると、事態がより悪くなる可能性がある場合には、犯人探しをしない解決法を考える
べきなのだ。そういう観点がこの先生にも学校にも教育委員会にもないようだ。

≪問題発覚後に開かれた同校の臨時保護者会では、教諭が経緯を説明して謝罪。保護者
からは「処分しないで」「いじめにはこれからも厳しく対処してほしい」などの声が上がったと
いう。インターネット上でも「いじめに毅然(きぜん)とした態度を取ったことは悪くない」「指
紋を採るのはどうか」といった議論がある。≫

謝罪する相手が違う。「処分しないで」「いじめにはこれからも厳しく対処してほしい」は取調べを受け、指紋をとら
れた子どもたちの視点ではない。「いじめに毅然(きぜん)とした態度を取ったことは悪くな
い」って、もっとやれってことか。「指紋を採るのはどうか」という意見にしても、じゃあ、どう
する、という積極的な提案がない。所詮、野次馬だ。