校長室に机と椅子の不可解

毎日新聞 6月1日(月)7時0分配信
長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件は6月1日で発生から11年を迎える。事件があった
市立大久保小学校の校長室には、亡くなった御手洗怜美(さとみ)さん(当時12歳)の机と椅子
が置かれ、代々の校長が事件を風化させない決意を受け継ぐ象徴となっている
。≫

風化させてはいけない、という言葉に胡散臭さを感じる。
机と椅子が事件を風化させない決意を受け継ぐ象徴?
事件を風化させないとはどういうことだ?
風化させない決意とはなにか?
風化させないことが、だれにとってどういう意味があるのか?

≪校長の机に向き合うように置かれた児童用の小さな机には、怜美さんの同級生が卒業時に寄
せ書きした色紙と千羽鶴が保管されている。事件後、教室の外の廊下に置かれ、造花のヒマワリ
が飾られていたが、事件翌年の2005年4月に着任した秋山団一さん(61)が校長室に移した。
「二度と事件を繰り返してはならない」との使命感からだった。≫

「二度と事件を繰り返してはならない」との使命感?

≪当時はまだ事件の影響で心身の不調を訴える児童や教職員がいた。校内で口論などトラブル
が起きると、秋山さんは怜美さんの机に「早く対処せんばね」と語りかけ、児童や保護者とじっくり
向き合う決意を新たにした。≫

校内で口論などトラブルが起きたときに、どうして怜美さんの机に語りかける必要があるのか?
口論やトラブルは起こってはいけないのか?

≪大久保小では、05年から毎年6月1日に全校児童による「いのちを見つめる集会」が開かれて
きた。11年を経て「もう節目は過ぎた」「毎年開かなくてもよい」との声が寄せられている。≫

全校児童による「いのちを見つめる集会」とは何だ?
1年生から6年生まで全員が主体的意識的に参加しているとは思えない。参加させられている
のではないか? だから、「もう節目は過ぎた」なんていう意見が出て来たのだ。

≪だが、市内では昨年7月に高1同級生殺害事件も起きた。秋山さんの後任を務めた三島智彰
さん(61)は「学校と地域が連携して子供を見守ろうという教訓を忘れず、大久保小が命の教育
に率先して取り組むべきだ」と語る。≫

昨年7月に起こった高1同級生殺害事件は、「いのちを見つめる集会」を続けるかどうかとは
関係ない。
どうすれば事件の発生を防げたかは、長崎新聞の連載『闇を照らす〜佐世保児相の
内部告発』で分析している。「学校と地域が連携して子供を見守ろうという教訓」を忘れていたと
いうことではない。

≪現在の小林庸輔(ようすけ)校長(57)も昨年4月の着任時に怜美さんの机を見て「彼女の魂
を風化させてはいけない」と心に決めたという。≫

ということは、この学校長はこの学校に来るまでは何も考えていなかったということ? よその学
校に校長として赴任した人はそう思わないということ?

怜美さんが使っていた机は所詮、学校の備品に過ぎない。怜美さんの人格はそこには欠片も
ない。
そんな机を見て「彼女の魂を風化させてはいけない」と心に決めたというのは、あまりにも
儀式的思考だ。本気で深く考えているとは思えない。

≪小林校長は着任以来、「日々の出来事を家庭や地域で話題にしてもらい、児童の心を共に育
てたい」と授業の様子などを学校のホームページに書いてきた。1日の集会では子どもたちに「怜
美さんのもっと生きたかったという思いを忘れず、命や思いやりを大切にしてください」と語りかけ
るつもりだ。≫

校長は被害者側だけに寄り添っているようだ。加害少女がどうなったかには関心がないらしい。
それでは事件は防げない。