検証報告書を読んで

平成27年5月21日、邦人殺害テロ事件の対応に関する検証委員会が検証報告書を公表
した。

目次をみると、時期を区切って、3段階(8月〜12月3日、同日〜1月20日、同日〜)の構
成になっている。
第1段階
(1)邦人の渡航を防ぐことはできなかったか。
(2)政府内の体制構築は十分であったか。
(3)情報収集・分析は十分であったか。
第2段階
(1)情報収集・分析は十分であったか。
(2)被害者の救出に向けた措置及び政府内の体制構築は十分であったか。
(3)御家族への対応は適切であったか。
(4)総理の中東訪問のタイミング及びスピーチの表現は適当であったか。
第3段階
(1)政府内の体制構築は十分であったか。
(2)情報収集・分析は十分であったか。
(3)被害者の救出に向けた措置は適切であったか。
(4)情報発信は十分かつ適切であったか。
(5)御家族への対応は適切であったか。
(6)事件を受け、邦人保護のための措置を適切にとったか。

この報告書には最も重要な問いが抜けている。ふたりの命を守ることができたか、という
問いだ。
第1段階の(1)で、邦人の渡航を防ぐことはできなかったかという問題設定をしているが、
これとはちがう。渡航してしまったふたり命を守ることはできなかったかという問いは、別問
題だ。

常岡浩介氏と中田考・元同志社大学客員教授が、イスラム国から連絡を受けて、湯川遙
菜氏の命を救うためにイスラム国へ行こうとしていたときに、警視庁公安部外事三課が渡
航を妨害したことに全く言及していない。
したがって、この点の評価もない。

この報告書は、政府の主体的行動に焦点をあてて検討している構成になっているので、常
岡氏や中田氏の行動は登場する余地がないのだろう。しかし、ふたりの命を守ることが出
来たかという問いについて、主語は政府だけである必要はない。

報告書では、情報収集についてではあるが、
本事件のように非国家主体が主として関わる事案については、政府による外国政府諸
機関との関係を中心とした情報収集によって得られる情報には自ずと限界がある
ことか
ら、日本側の民間の個人や団体の有する情報をより積極的に聴取し対処策に活かす手法
も、今後検討されるべきであるとの意見も示された。」(8頁)
と指摘している。

本件のように政府間交渉ができない事案では、「日本側の民間の個人や団体の有する情報
をより積極的に聴取し対処策に活かす手法」が重要なのである。

これを常岡氏や中田氏に当てはめるなら、彼らの協力を得ることによってこそ、政府は湯川
氏の命を守ることができたかもしれない。彼らがイスラム国で生命の危険に晒されるおそれ
が小さければ、彼らがイスラム国に渡航して湯川氏の処刑を回避できたかもしれない。そう
いう形の協力もあったのではないか。

報告書では、後藤氏の渡航目的は不明のようである。湯川氏救出が目的であれば、常岡氏
や中田氏が行動することで、後藤氏はイスラム国へ行く必要がなくなり、命を奪われることに
はならなかった。