美味しい桃の話

 先月、山梨に住んでいる、親しい弁護士が、実家で両親が作っているという桃を送ってくれた。
弁護士の実家で作っている桃では、さぞかし理屈っぽい味がするのかと思ったら、これが意外や
意外、すごく美味かった。

 親しい人たちに少し送ってみたいんだけど調達可能だろうかと、尋ねた。
 専業で桃作りをしているわけじゃないし、手間を掛けて作っているので、大量の桃をすぐに送る
というのは無理だけど、少しずつなら何とかなるだろう、という返事。

 日にちが経ち、もう旧盆の時期。田舎の実家でお盆を迎えよう。それにしても、桃はお盆までに
は間に合うだろうか。催促しても早まるわけではない。任せるしかない。

 お盆が終わって、事務所に戻ると、お礼のメールと電話が届いた。

 もともとお中元を贈ることを習慣していない私からの贈り物に、大方の人は驚いていただろう、
きっと。中には、「安全か?」と不審を抱いた人もいたかもしれない。今回も、たまたまお中元の
時期になっただけのことで、送る動機は、桃が美味い。これだけだった。

 岩手に住む元依頼者から、お盆の供え物にして送り火をしてから家族で食べたというメールを
もらった。

 今年春に亡くなった司法研修所の教官の奥さんからの電話では、桃が美味しかった、夫に供え
た、とのこと。私は、「先生(教官)に送らなかったら、「お前ばかり美味いものを喰って、なんだ」
と文句を言われそうで、やむなく送りました」と自白した。奥さんは「そうね。きっと、主人は恨むわ
ね」と笑った。

 ふと、自分が死んだときのお盆の場面を想像してみた。目の前に美味しい桃が供えてあるのは
悪くない景色だと思った。こんなことを一瞬でも考えることが、去年より1年また年を取った、死に
近づいたということなのかもしれない。

 新潟に住む長年の知り合い女性(会社の専務)は、「美味しかったから、来年も忘れずに送って
来いよ」と、いつもながらの大きな声で、お礼なんだか要求なんだかわからない電話を寄こした。
この人の死はだいぶ先にちがいない。