黒川検事長、産経・朝日記者らと「賭けマージャン」!

5/20() 20:04配信(讀賣新聞

≪「週刊文春」の電子版は20日、黒川弘務・東京高検検事長(63)が緊急事態宣言下の今月中に、産経新聞朝日新聞の記者らと賭けマージャンに興じていたとする疑惑を報じた。≫

検察権力とマスコミ(記者)の癒着。紙面では検察庁法の改正について書きっぷりが正反対の産經と朝日の記者が一緒に卓を囲んでいるというのが、現場の人間関係はこんな感じなんだよと、リアルな人間関係を示していて、とてもいいです。紙面は紙面、人は人。

≪電子版は、「接待賭けマージャン」の見出しで、黒川氏が1日夜から2日未明と13日、産経、朝日の記者らと、産経記者の自宅マンションでマージャンに興じたなどとする内容。産経関係者の証言として、黒川氏が以前から賭けマージャンをしていたとも記している。≫

ときどきやっているんでしょうね。

≪黒川氏は1983年に検事任官。法務省の官房長や次官を歴任し、昨年1月、東京高検検事長に就いた。今年2月に63歳の定年を迎える予定だったが、直前の1月末、政府が半年間の勤務延長を閣議決定した。≫

時期からして、黒川検事長のお祝い記念麻雀大会ですね。

≪野党などは、黒川氏の勤務延長と絡め、検事総長検事長らの「定年延長」を政治判断で可能にする検察庁法改正案を批判し、改正案は今月18日、今国会での成立見送りが決まった。≫

定年延長が決まっている黒川検事長には関係ないことだけれど。

≪東京高検は「報道の詳細を確認しておらず、コメントできない」としている。産経新聞社広報部は「取材に関する事柄については、お答えしません」とし、朝日新聞社広報部は、50歳代の男性社員が黒川検事長らとのマージャンに同席していたことを認めた上で、「金銭を賭けていたかどうかは調査中。勤務時間外の個人的行動だが、極めて不適切な行為でおわびします」と回答した。≫

東京高検は事実関係が明確になるまでは対外的にコメントできないでしょうが、はっきりしたら、相応の対応が必要になりますね。

産經新聞は「取材に関する事柄」と言うけれど、単に仲間で遊んでいるだけじゃないの。それとも、このときの様子を取材して産經新聞に書くつもりだったのでしょうか。その場に居合わせない『週刊文春』の記者が記事を書けたのは、産經新聞の記者が協力しているということでしょうか。

朝日新聞は真っ先に、「金銭を賭けていたかどうかは調査中」とコメントしていますが、朝日新聞の記者が現場にいたのですから詳しい報道ができるんでしょうね、きっと。

元HKTメンバーの大麻騒動…「見せしめ」逮捕か?

元HKTメンバーの大麻騒動…「見せしめ」逮捕か 法律関連メディア「不起訴になることがわかっていたのでは」

5/13(水) 16:56配信(夕刊フジ

 

福岡県警に呆れた。

 

≪福岡を拠点とするアイドルグループ、HKT48の元メンバー、谷口愛理さん(21)が先月16日に大麻取締法違反(所持)の疑いで福岡県警に逮捕された事件は芸能界を騒がせた。しかし同30日に証拠不十分で不起訴となったことで「見せしめ逮捕だったのでは?」との声も出ているようだ。≫

 

≪福岡市内の実家で乾燥大麻0・025グラムを所持していた疑いで逮捕された谷口さんだが、当初から「自分の物ではない」と否認、交際相手が半年ほど前に置いて行ったものだと主張していた。≫

 

乾燥大麻0・025グラム!

え、これ、ゴミみたいなもんじゃないかぁ?

一体、幾人の警察官が踏み込んで、どれくらいの時間をかけたのかわからないが、よく見つけたなあ。すごい執念?

で、これで逮捕!

・・・どうして逮捕なんだ。

 

きっと、ガサ入れする前にマスコミに、「〇月〇日、HKT48の元メンバー、谷口愛理の実家をガサ入れして、逮捕するから」と、事前告知してしていたに違いない。

何としても(乾燥)大麻を見つけ出して谷口愛理を逮捕しなければ。

強制捜査を事前告知した警察の意地だな。

 

≪その交際相手の男(20)というのが少々要注意人物だったようで、1月に仲間と傷害・監禁事件を起こして逮捕。19歳男性に因縁をつけ、車に監禁するなどしたという。その際の家宅捜索で男の家から大麻や関連器具が見つかり、出入りしていた谷口さんが捜査線上に浮上したという。≫

 

捜査線上に浮上?

って、一体、どういう情報だったのか。

谷口愛理の実家にかなりの量の(乾燥)大麻がある、という話だったのか?

それとも、19歳男性のちょっとした話に警察が妄想で盛り上げてしまったのか?

 

≪谷口さんは釈放後、インスタグラムで「こういう投稿自体も考えたけど一応一般人だし事件に関しての公のコメントは今のところ控えますね」「お騒がせしました。社会的に失うものそろそろなさすぎて前に進む以外ないや」と心境を吐露している。≫

 

有名人は「元」であっても大変だ。

 

≪「不起訴になることがわかっていて耳目を集めるために逮捕したのでは、というのが弁護士たちの間でもっぱらの評判です」と明かすのは、法律関連メディアのライター。≫

 

「耳目を集めるために逮捕した」?

有名人を逮捕したい?

それもあるかもしれないが、警察の勇み足か妄想が原因だったのでは?

 

≪「谷口さんは、福岡では売れっ子キャバ嬢ですが、一時期HKTに在籍したことから大きく報道されてしまいました。取り調べで自白が取れると踏んでいた可能性もありますが、いずれにせよ、あまりにも微量ですし、最初から逮捕すべきではなかったのでは」と先のライターは疑問を投げかける。≫

 

谷口愛理さん、めげるな!

 

≪捜査のあり方が問われそうだ。≫

 

どう、問うんだい?

こういう記事はどうなんだろうか?

『「コロナ女」「追放」山梨の感染女性、やまぬデマと中傷』

これは、5/12(火) 20:13配信記事(朝日新聞)の見出し。

 

これは、5/12(火)20:13配信記事(朝日新聞)の見出し。

これだけで、ああ、あの若い女性のことだね、とわかる。それだけでなく、まだ多くの人が苛立っているこの時期だけに、「コロナ女」「追放」なんて見出しにとったら、あのバカ女のことかと印象を改めて強めてしまう人がいるのではないか。

 

新型コロナウイルスに感染していることが判明したにもかかわらず、山梨県から東京都まで移動した女性に対し、インターネット上で激しい中傷が巻き起こった。県は重大な人権侵害として、保護対策に着手。識者は「自粛生活が続くストレスで、投稿者から冷静さが失われている」とみる。≫

 

投稿者がひどい。それは確かだ。でも、この識者はマスコミ寄り過ぎないか。

 

≪「コロナ女」「テロリスト」「日本から追放」。ネット上には中傷の書き込みがあふれている。女性とされる名前や写真、「実家を特定した」といった根拠不明の情報をまとめたサイトや動画がいくつもある。≫

 

確かにひどい。

 

≪県によると、20代の女性は4月29日に山梨県の実家に帰省。同僚の感染が判明したことから5月1日にPCR検査を受けた。同日夜に東京に戻り、2日に陽性と判明したとされていた。≫

 

そういう発表があった、という報道があった。

 

≪だが県への情報提供で、実際には女性は2日午前、陽性判定を知りつつ新宿行きの高速バスに乗ったことが判明。県がこれを公表し報道されると、女性に対する非難の嵐が起きた。≫

 

そういう発表があった、という報道があった。これを機に女性に対するバッシングが始まった。と言うか、この報道をあちこちのニュースで聞いたとき、これを機に女性に対するバッシングが始まると思った。そしてそのとおりになった。

 

≪周辺に関するデマも広がった。女性の勤務先として、都内の飲食店の名も挙がり、店はホームページで「当社関係各位に感染者は確認されていない。風評被害に関しては、法的措置も視野に厳正に対応していく」とした。≫

 

店としてはこういう対抗措置を取らざるを得ないだろう。法的措置は訴訟だろうか。難しそうだが、そう言いたくなるのはわかる。

 

≪高校の同級生は、女性が帰省後に参加したバーベキューに同席していたというデマを流された。勤務先のアパレルショップには「コロナの人がいるんですよね」と問い合わせが相次ぎ、ネットには「スタッフ教育がなっていない」「謝罪しろ」という書き込みもあった。店長の女性(47)は「デマでここまで中傷されるのは耐えられない。これ以上続けば損害賠償請求も辞さない覚悟でいる」と話す。≫

 

「デマ」で迷惑している人からすればたまらない。

 

≪感染者の幼なじみの女性もバーベキューに参加していたというデマに悩まされた。勤務先の病院に「院内感染したらどうするのか」という電話まであった。感染した女性に連絡すると、SNSをやめ、ネットは見ないようにしていると苦しい胸の内を明かしたという。山梨県警は感染者の女性に対する中傷について、立件も視野に情報収集をしている。(玉木祥子、田中正一、吉沢龍彦)≫

 

要するに、記事は、デマや個人情報をまき散らすネット上の投稿者たちだけが悪い、という。識者もこれに同調している。

 

私はネットに書き込みこそしなかったが、「実際には女性は2日午前、陽性判定を知りつつ新宿行きの高速バスに乗ったことが判明」というニュースを初めて聞いたときに、え、こんな報道の仕方をしていいのか、と驚いた。ところが、テレビは民放もNHKも同じように報道していたので、その都度、いいのか、と驚いた。

 

ニュースを聞いて、何をしているんだ、この人は、と思った人は多いのではないか。が、自分の利害関係で考えてみよう。私と女性は(おそらく)接点が全くないので、女性の行動は私には何の実害もない。女性の周囲の人たちには女性が陽性であったことからPCR検査を受けるよう連絡がなされたはずだから、報道がなくても、その人たちにとって新たな害悪が生じることはない。ほとんどの人は私と同じ立場にいる。だから、だれにとっても、女性の感染ニュースは、他のニュースと同じように聞き流してかまわない類のものだったのだ。

 

そうならなかったのは、山梨県の発表とマスコミの報道が視聴者、読者が女性に対する怒りの気持ちを煽ったからだ。

県にとってもマスコミにとっても、ここでの課題は公衆衛生の観点であるから、どのように一般に問題意識を喚起するかということだけである。女性の細かい行動や陽性を認識した時期とその後の行動などは、一般人には関係ない。むしろ、説明すればするほど、女性の落ち度が目に付き、そこから関係者以外の人たちが「女性」の無責任と思える行動に怒りを覚え、探し出したくなり、すぐに着手し、見つけ出し、本人や周りの人に嫌がらせを言いたくなり、実行し、いい加減な検索で迷惑をかける人も出て来る。時期が時期だけに、軽率な行動がわかるような公表、報道の仕方をすると、ネット上で必ずバッシングが起こる。そういう展開は十分に予想できる。だから、県もマスコミも、そのことを計算に入れた上で、公表、報道しなければならなかった。その点の問題意識が県もマスコミも不十分だったことが一番の問題だ。

自治体とマスコミがこのことに気づかなければ、今後も同じ悲劇が繰り返される。

顧客情報7万件紛失 三井住友銀行は被害者か?

口座番号など、顧客情報7万件紛失 三井住友銀行

5/1(金)12:24時事通信配信

 

三井住友銀行1日、事務機器の保守などの委託先の「OKIクロステック」(東京)が約7万件の顧客情報を紛失したと発表した。葛西支店(東京都江戸川区)の事務機器に取り付けられていたハードディスク2個をなくした。顧客の氏名や口座番号、入出金などが記録されていたが、情報は暗号化されており、外部の者は解読できないという。≫

 

「という」のは、と言っているよ、というだけのこと。

暗号化されているから「外部の者は解読できない」なんていう断定は、いまどきしない。 

暗号化していても解読されてしまうかもしれない、その危険がある、と考えるべきだ。

三井住友銀行が本気で「外部の者は解読できない」と考えているのなら、かなり問題だ。

 

≪紛失したのは、20091月~1810月に葛西支店で通帳の新規発行などの手続きをした顧客の情報。ディスクは入れ替え時にその場で初期化するルールだったが、OKI社側の独断でそのまま持ち出した。≫

 

どうしてこんな基本的なルール違反が行われるのか。

ディスクの入れ替えは銀行の建物内で行うのではないか。

ディスクを初期化するときに行員は立ち会うことになっているのではないのか。

そのチェックリストがあるのではないか。それにはどう記録されているのか。

立ち会いもいない?

チェックリストもない?

チェック記録もない?

以前からルーズな運用だったのではないか。

ルーズな運用は葛西支店だけなのか。

 

三井住友銀行は「定期的に委託先の管理態勢を確認してきたが、誠に申し訳なく深くおわびする」とコメントしている。≫

 

「定期的に」?

「委託先の管理体制を」?

「確認してきた」?

そもそも支店の現場で起こったことが発端だったのではないのか。

支店の体勢に問題があった。支店の体勢次第で被害は防げた。

そうは思いませんか、三井住友銀行さん。

 

ミニシアターを応援してください

ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金を知っていますか。

ハリウッド映画、ディズニー映画とちがって、お客が集まらない映画ばかりを上映する映画館(少し時期を外してメジャーな映画を上映することもなくはないが)。それがミニシアター。だれでも彼でも観てほしいという作り方をしている映画ではないだけに、作り手の人たちの思いがはっきり伝わって来る。ニュースや書籍ではわからなかったことを教えられることが多い。生きていく上でとても意義がある存在だ。

わたしがよく行く千葉劇場(千葉市)は、110席の客席にいつもがらがら。客数は多くても30人くらい。大抵は十数人から二十数人。少ないときは数人。当然、収益は小さい。よくやっているよな、と驚きつつ、よくやってくれているなあ、といつも感謝している。

こんな状態だから、人と人の間隔を空けるという新型コロナウィルス対策は、新型コロナウィルスが社会に認識されるずっと以前から実行してきたのに、いま、休館せざるを得なくなっている。もともと少ない収益がゼロ! いつ復活できるかわからないままでの休館はいつ閉館になるかわからない。それは、ミニシアターがあれがこれからも得られるであろう多くの「財産」を誰も手に入れられなくなるという危機なのだ。

と思って、昨日、ネット上で見つけた、ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金に参加した。

ミニシアター映画が好きな人。どうぞミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金に参加してください。

ミニシアターを見たことがない人も、きっと幾度か見れば、きっと好きになります。ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金に参加してください。

 

臨終に立ち会えなくても臨終を知らせる意味

新生コロナウィルスが蔓延しつつある時期だけに、いま、病院は「万全の体勢」で日々業務に従事しているんでしょうね。

 

病院は様々な病気を持った身体の弱った人たちが集まって来る空間なので、いつも感染症の宝庫です。通院患者が新たな病気をもらって家に帰るということは日常的な出来事なのかもしれません。それがほとんど問題にならないのは、通院患者も入院患者も医療従事者も一定の免疫力を持っているからでしょう。

 

だから、新たな感染症には弱い場所です。通院患者も入院患者も医療従事者も同じ危険に晒されています。新型コロナウィルス問題はこれまで人類の歴史に類例のない大事件です。病院が病院内の人たちの安全と医療体制の維持のために最大限の努力をしようとするのは当然です。病院とすれば、「俺達は必死でやっている。この苦労が外の人間にわかるか」という心境かもしれません。

 

しかし、何週間も家族にも友人にもだれにも会わせてもらえないまま亡くなった友人の父親、何週間も面会謝絶で臨終にも立ち会わせてもらえず、臨終を教えてさえもらえず、不安な日々を送っていた母親は、どれほど心細かったことでしょう。それを気遣う子どもたち。突然の訃報に、どうして夫の、父親の死に目にも会わせてくれなかったのか、どうして死ぬまで何も教え得てくれなかったのか、という不審と怒りが生じてもおかしくありません。

 

病院スタッフ全員が必死だということはわかっている。なのに納得ができない。どうしてこんなふうにこじれてしまうのか。問題は病院側からの情報発信のあり方にあるのではないでしょうか。

 

友人の父親が入院したときに新型コロナウィルス問題はすでに日本でも起こっていました。ただ、まだ深刻さは中国やEUに比べて低い状態でした。

それでも、病院として新生コロナウィルスの感染(拡大)を防ぐ方針を立てて、家族や知人など外部からの訪問に関する制限を従来と異なるルールですでに行っていたのかもしれません。そうであれば、どのように変えたのかを事前に家族に説明すべきです。

入院後に変更したのであれば、その時点で家族に面会のルールが変わったことを説明すべきです。外部の者の面会を認めないようになったのであれば、入院患者の日々の容体をだれにどのように知らせるかを決めておいて、実行すべきです。その報告があるだけでも、会えない家族は入院している家族を心の中で励ますことができます。

 

入院患者が臨終になったときでも面会を認めないのであれば、臨終状態になったことをだれに知らせるかを事前に決めて、実行すべきです。臨終になっても会えないのなら意味がないから教えないと考えて、病院は臨終を教えないことにしたのでしょうか。

そもそも臨終の患者の周りに人が集まることに何の意味があるのでしょうか。いくらたくさんの人が集まっても臨終の人が生き返るわけではありません。それがわかっていながら、人はなぜ臨終の場に立ち会うのでしょうか。生から死へ移っていく時間を死にゆく人と共に過ことに何か特別な意味があると感じているからなのではないでしょうか。

それは場所が離れてしまったら無意味になってしまうのか。そうではないのではないでしょうか。家族が病床で臨終状態にあるということをリアルタイムで知らされるだけでも、離れた場所から、死ぬまでの時間を心の中で共に過ごすことはできるはずです。そこには当事者だけにわかるなにがしかの意味があります。

対「村中璃子」裁判が終結しました

2020年3月7日、東京高裁から封書が届いた。

開封すると、出て来たのはごく簡単な書面だった。

医師・ジャーナリストを自称する「村中璃子」さんが東京高裁判決で池田修一信州大学医学部教授に「勝って」いながら、これに「不服がある」として上告、上告受理申立をしていた件で、東京高裁が、「勝っているのだから、上告の利益、上告受理申立の利益がない」という理由で、最高裁に裁判記録を送ることなく、裁判を終わらせたという決定通知だ。

これで、2016年8月に池田さんが「村中璃子」さんらを被告に起こした名誉毀損訴訟が全面的に終わった。

 

1年前の2019年3月26日に東京地裁が出した原告の全面勝訴判決に出版社のウェッジ社と編集長の大江紀洋さんが従って賠償金を払い、謝罪広告を出したりしたことで、裁判は実質的に終わった。それでも、「村中璃子」さんは控訴し続け、高裁で「勝った」のに、「勝ち方」が気にくわないと上告、上告受理申立をしていたのだ。

 

「村中璃子」さんは、名誉毀損不法行為が成立しないという理由で勝ちたかったようだが、高裁はそれを否定し、ウェッジ社が被告の敗訴分の債務をすべて履行していることを理由に「村中璃子」さんは「もう払わなくていい」という当たり前の「勝訴」判決を書いた。わかり切ったことだ。それを、あえて判決を求めるとは。

 

「勝った」のだから、「村中璃子」には上告の利益、上告受理申立の利益がない。上告、上告受理申立を受け付ける高裁がそう判断することは十分に予想できたはずだ。少なくとも弁護士には。それでも上告、上告受理申立をした。

一体、何のための、だれのための控訴、上告、上告受理申立だったのか。だれにとってどのような意味があったのか。弁護士費用だってかなりかかったはずだ。

 

「村中璃子」さんは、3年8カ月の裁判の間、ついに本名も住所も生年月日も明らかにすることはなかった。裁判でさえ本名を隠し続けた「村中璃子」さんは、今後も「村中璃子」の名前で言論活動を続けるのだろう。それは社会的に責任ある言論なのだろうか。