「舌足らずな印象」
高齢化社会が進む日本では、認知症などで帰宅ができなくなり保護される身元不明者は、
今後も確実に増え続ける。帰宅できない状態の中で、犯罪に巻き込まれたり、事故に遭っ
て死亡したり、大怪我をしたりする人も増えるだろう。
そういう状態に陥る人をすこしでも少なくする対策が社会的な仕組みとして構築され、実
行されなければならない。
毎日新聞 2015年10月24日 東京朝刊
≪認知症などで保護された身元不明者の大半の情報をインターネットの特設サイトに
東京都が掲載していない問題で、積極公開を求める厚生労働省に反する姿勢を見せ
ていた舛添要一知事は23日、一転して前向きな考えを示した。同日の定例会見で、改
めて認識を問われた舛添知事は「区市町村の対応を検討しないといけない」と述べ情報
公開に向けて働きかけるよう指示したことを明らかにした。≫
数日前までは、消極的というより、はっきり否定していたのに。
≪都福祉保健局によると、知事から(1)身元不明者の現状調査(2)個人情報保護の法
令を踏まえ、情報を公表できるものは公表するよう、保護している区市町村に働きかける
こと−−などを指示された。≫
確かに、明らかな大逆転。
都福祉保健局は、舛添知事の急変にとまどったにちがいない。え、それって、うち(東京
都)ではやらないんですよね。当然、問うたはずだ。「なんで方針変更するんですか?」
≪舛添知事は「家族が全力で捜せば警察の照会網で見つかる。家族が捜そうともしない
時に情報を出していいのか」ともこれまで発言していたが、この日の会見では「舌足らず
な印象があったと思う。一生懸命捜しているのに見つからないケースをどうするかという
のはある」と修正した。≫
はああ?
いやあ、もともと問題の事案は、家族が必死に探しているのに幾年も会えない、やっと会
ったときには以前と全く変わっていて認知症がひどくなっていた、もっと早く会えていたら
・・・というもの。
そういう現実を、元厚労大臣の舛添知事が知らない?
「舌足らずな印象」?
「舌足らずだった」なら言った本人の問題だ。が、舛添知事はそうは言わなかった。「舌
足らずな印象」。これは言った側が悪かったようにも聞こえるが、聞いた側の受け止め
方が悪かったという意味を含んでいる。どこまで尊大なのだ。確信犯だとしか理解のし
ようがない言い方をしていたのだ。考えが足りなかったと謙虚に言えないのなら、どういう
舌足らずだったのか、数日前の見解との整合性を是非、説明してほしい。
いい方向へ方針変更することになったのだから、これ以上追及しなくてもいいんじゃない
か。そう思う人もいるだろう。が、それはちがう。これほどの激変を平然と「舌足らずの印
象」の一言で片付ける人は、今後も同じようなことをする。そのたびに、職員も、都民も
右往左往させられる。そして、間違いを修正するときに、「俺は悪くない。聞く側の理解不
足だ」では堪らない。
担当課の職員の取り組み姿勢に問題があったのならそう言うべきだ。言わないで黙って
いると、知事は嘗められる。そういう職員はこれからものさばるし、増殖し、都庁内に蔓延
する。
≪都は特設サイトに1人分しか掲載していないが、実際は昨年5月時点で49人の身元不
明者がいたことが判明。情報公開に消極的だった舛添知事に対し、塩崎恭久厚労相が積
極公開を求めていた。≫
これは厚労省が主導権を握って地方自治体に上から命令してやらせている課題ではな
い。問題を抱える自治体の職員が被害の深刻さを目の当たりにして問題解決のために試
行錯誤しながら進めている対応策である。地方自治体と国の関係は、住民の生活を守る
地方自治の視点からの政策に厚労省が理解を示しているという関係だ。
舛添知事はまた方針を変更するかもしれない。そのときも「舌足らずな印象があったと思う
」と言うのだろうか。監視が必要だ。