なぜ被害者に厳しく、犯罪者に優しいのか?

 3月21日のブログ記事「公訴棄却判決と被害者遺族の怒り」に対して、
「なぜ被害者に厳しく、犯罪者に優しいのか?」という趣旨で、かなり激
しい言葉で反論をいただいた。

 批判する人は、「犯罪者を厳しく処罰するのは当たり前だ」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 しかし、と刑事弁護人は考える。
 「厳しく処罰する」と言うのはどういうことか。

 批判する人は、「刑務所に長く入れることだ」「極刑(死刑)にするこ
とだ」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 しかし、と刑事弁護人は考える。
 「長く刑務所に入れると、入れた期間に比例して深く反省するのか」
「極刑にすると、なにが解決するのか」

 批判する人は、「長く入っていれば、それだけ苦しみ、反省につなが
る」「とんでもないヤツは、この世に生存する資格などない」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 しかし、と刑事弁護人は考える。
 「刑務所に長く入れておれば、受刑者はそれだけ深く反省するという
現実はあるのか。むしろ、長く刑務所にいた人の方が、外に出たときに
“いま、浦島”になってしまい、社会に適応できず、自分の居場所を失
い、社会に出てから犯罪に巻き込まれやすくなる」「他人の存在につい
てこの世に生存する価値がないという判断をし実行する価値観は、気に
食わない人との関わりを拒絶し、排除し、差別する価値観に繋がってい
ないか」

 批判する人は、「社会に出て犯罪をおかしたら、今度はもっと長く刑
務所に入れればいい」と考える。
 日本では、たぶん、大抵の人が「そうだろうなあ」と思っている。

 最近、気に食わないヤツにはとにかく重罰で臨めという傾向はまさに
この価値観だ。これは、憎しみの拡大、憎しみの連鎖を生んでいるよう
な気がする。

 重大な結果には重罰で臨む。
 当たり前のようだが、よく考えてみると、???だ。
 重罰によって充たされるのは野次馬的存在の人々の場当たり的な正義
感だけで、問題はなにも解決しない。被害者が奪われた命、健康な身体
などは決して戻らない。決して戻らないことに均衡する社会制度として
の刑罰など存在しない。どうしようもないアンバランスは、刑事裁判の
判決を俟つまでも無く明らかだ。

 刑罰に被害者の苦しみとの均衡を求めること自体がナンセンスなのだ。

 被害者や被害者遺族の苦しみ悔しさを、人として、犯罪者が、周囲の
人々がどう受け止めるかという問題と、犯罪から何を学ぶかという問題
はまったく別だ。

 刑事裁判は中途半端な位置にある。
 被害者や世の人々の処罰感情を満足させようとする面と、犯罪者に犯
罪を反省させ繰り返させないようにしようとする面がある。
 ここに抜けているのは、被害者はどうして犯罪に巻き込まれたのか、
どうすれば犯罪に巻き込まれないで済んだのか、という視点だ。

 実は、この点こそが、社会が犯罪から学ぶべきことなのだ。いや、そ
れ以外に社会が個人間で起こった私的な紛争に関心を持つ意味などない。

 ところが、マスコミ報道では、加害者を行動に走らせた被害者側の原
因を詳しく報道することはない。「こんなにいい人が、なぜ被害に遭わ
なければならないの?」という記事ばかりだ。これはこれで問題で、逆
に言えば、「いい人でなければ殺されてもいいのか」という疑問が湧く。
いい人だろうがそうでない人だろうが殺されていいということはないの
だ。
 かなり無理をしていい人に仕立て上げているような記事さえある。そ
のとき、記者も編集者も被害者側の言動や行動などに問題があることに
気がついている。それでも、「わが社は被害者を冒涜していません」
「犯罪被害者の味方です」と、アピールする。
 その論調のオンパレードで世論は形成される。

 警察や検察は、事件のストーリーを単純化するために、また、正義を
装うために、加害者の問題点を一方的に取り上げ、被害者側の「問題点」
は出さないか、出さざるを得ない場合でも最低限出すだけにとどめる。

 刑事弁護人も、被害者側の言動や行動に犯罪を誘発してしまった原因
や、被害者が最悪の事態を回避できたはずだと、指摘することを躊躇せ
ざるを得なくなる。

 裁判官の仕事は、目の前に立っている被告人に判決を言い渡すことだ
から、被害者の言動や行動の問題点について言及することはほとんどな
い。

 そんなわけで、一般の人々は、犯罪者を刑務所に送り込むための儀式
としての刑事裁判を見せられているだけで、社会として学ぶべきことを
学ばせてもらっていない。
 それでいいのか?

 殺された被害者がもし生きている大事な人々にメッセージを伝えるこ
とができるとすれば、何を言うのだろう。
ふと、そんなことを考える。
 「犯人を死刑にしてくれ」という人もいるだろう。
 しかし、「あのとき、相手の人にあんなことを言わなければ、相手の
人にあんなことをしなければ、わたしは殺されずに済んだかもしれない。
いま、生きているあなた、わたしと同じ失敗をしないでくださいね
」と
言うかもしれない。

 犯罪者をこの世からなくすことはできない。しかし、犯罪被害を回避
すること、被害を小さくすることは無限に可能だ。
社会は、加害者側の
問題点だけでなく、殺された被害者からの教訓をしっかり引き受けるべ
きではないか。