栃木リンチ殺人事件の被害者について考える

 4月4日のブログで、こう書いた。

 刑事裁判は中途半端な位置にある。
 被害者や世の人々の処罰感情を満足させようとする面と、犯罪者に犯罪を
反省させ繰り返させないようにしようとする面がある。
 ここに抜けているのは、被害者はどうして犯罪に巻き込まれたのか、どう
すれば犯罪に巻き込まれないで済んだのか、という視点だ。

 実は、この点こそが、社会が犯罪から学ぶべきことなのだ。いや、それ以
外に社会が個人間で起こった私的な紛争に関心を持つ意味などない。


 これに対して、以下のような意見をいただいた。
 栃木リンチ殺人事件の殺された被害者がもし生きている大事な人々にメッ
セージを伝えることができ(原文は「い」)るとすれば、何を言うのでしょう?
 あのとき、相手の人(※ コメントでは実名で3人の氏名が書かれている
が、ここでの議論には必要ないのでカットした。)にあんなことを言わなけ
れば、あんなことをしなければ私は殺されずに済んだのかもしれない ?
あんなこと? ってどんなことですか?
 栃木リンチの被害者からの教訓ってなんでしょうね?
 

 このコメントは、わたしのブログの、以下の指摘に対応するものだろう。

 殺された被害者がもし生きている大事な人々にメッセージを伝えることが
できるとすれば、何を言うのだろう。ふと、そんなことを考える。
 「犯人を死刑にしてくれ」という人もいるだろう。
 しかし、「あのとき、相手の人にあんなことを言わなければ、相手の人に
あんなことをしなければ、わたしは殺されずに済んだかもしれない。いま、
生きているあなた、わたしと同じ失敗をしないでくださいね」と言うかもしれ
ない。
 

 この指摘は、1つの例にすぎない。
 栃木リンチ殺人事件の場合、殺された青年が言いたいことは、「殺された
くなかった」「どうして僕は助けてもらえなかったのか」というものだろう。

 青年を殺害したのは、当時、19歳の少年3人と16歳の少年1人だ。
 この事件は通り魔的な一瞬の間に起きた事件ではない。被害青年が殺され
ずに救い出すことは可能だった。

 被害青年の親から相談を受けていた警察(当時、石橋警察署。現、下野警
察署)が面倒臭がって動かなかったことが決定的な原因だ。被害男性が拉致
され、帰宅しなくなったことから、犯罪に巻き込まれているに違いないと心配
した母親が石橋署に行って、経緯を説明し助けを求めた。
 内容からすれば、明らかに犯罪。ところが、生活安全課での扱いは家出人
捜索願。子どもの家出として取り扱うということ。当然、捜査は行われない。
その後も繰り返し、被害青年の両親が警察に捜査を依頼するが、無視し続け
る。
 被害青年が殺害された後も栃木県警は動かず、加害者のうちの1人が警視
庁三田署に自首したことで、事件の経過が明らかになった。この自首がなけ
れば、事件は迷宮入りしていたにちがいない。

 なぜ、栃木県警は動かなかったのか。
 栃木県警がこの重大な不始末をどう総括しているのか。栃木県公安委員会、
警察庁はどう総括しているのか。
 栃木県警、栃木県公安委員会、警察庁がしっかり総括し、問題点を明らかに
し、再発防止のための具体的な対処法を決め、その内容を公表し、実行する
こと。これこそ、被害青年がいちばん訴えたいことではないだろうか。