「日本人」という枠組み

海外で大規模な災害、事故、事件が起こると、マスコミはこぞって、日本人がいる、
いない、幾人いる、という報道をする。

最近は、チュニジアチュニス市内の博物館で銃撃事件があり、外国人観光客が
多数死傷したという報道や、ドイツの格安航空会社ジャーマンウイングスの旅客機
9525便がフランス・アルプスの山奥に墜落して乗客乗員全員が死亡したという報
道で、「日本人は」という指摘が繰り返し行われた。

「日本人は」という報道は、一体だれに向けて報道しているのか。そういう疑問を
ずっと抱き続けている。新聞もテレビもラジオも報道はちっとも変わらないから、報
道に携わっている人たちはだれも疑問を感じていないということなのだろう。

「日本人」という国籍を基準にすると、日本に住んでいるかどうかは関係ない。
十年ずっと海外で暮らしている人でも日本国籍なら日本人としてカウントされ報道
される。

しかし、日本国籍でない人は長年日本に住んでいてもカウントされない。だから、
例えば、日本人と夫婦になった外国人が海外で事故や事件に巻き込まれてふたり
とも死傷の被害を受けても、マスコミは日本人だけをカウントする。そうすると、ふ
たりを知る人たちは、「あれ、どうしてひとりしか報道されないんだ?」と疑問を抱く
にちがいない。

マスコミが外国で発生した災害、事故、事件の報道を主に日本国内に住んでいる
人たちを意識して作っているのであれば、そこには多くの外国人も含まれているは
ずだ。日本で暮らしている外国国籍の人が被害に遭ったときには、日本人と同じ
ようにカウントすべきではない
か。

差別というつもりはないが、日本人に限定する必要もないと思うが。