被害者への謝罪の言葉がない。それがどうした?

千葉日報2015年04月28日 10:23
船橋市の野口愛永さん(18)が連れ去られ、芝山町の畑から遺体で見つかった事件で、
千葉県警捜査1課と船橋東署の捜査本部は27日、司法解剖の結果、野口さんは窒息死し
たとみられると発表した。生き埋めにされた可能性もあるとみて、詳しく調べる。≫

≪監禁容疑で逮捕した井出裕輝容疑者(20)や中野翔太容疑者(20)ら男女4人は容疑
を認め取り調べには応じているが、野口さんへの謝罪の言葉はないという。≫

20歳以上は実名報道

警察官の取調べで、警察官に対して謝罪の言葉を口にすることにどれほどの意味があ
るだろうか。
警察官の取調べの関係では、謝罪の気持ちが出て来てから本当のことを供述する、それ
までは自己保身のための嘘をつきまくる、という傾向があるから、それなりの意味がある。
被害者遺族は、犯人たちの気持ちを知りたいという欲求があるから、被疑者たちから謝罪
の言葉が出たら、知りたいにちがいない。それは新聞ではなく、直接、取調べ警察官から
聞けばいい。
それ以外の世の中の人には、被疑者が謝罪するかしないかは関係ない。マスコミが被疑
者の謝罪の言葉の有無を異常なまでに気にするのは、テレビの刑事ドラマの見すぎじゃな
いだろうか。世の中の人なんて、被疑者の謝罪の言葉がなければ「悪質なヤツ」、あれば
「本心か」と、どちらにしても上から目線で見物しているだけ。テレビの刑事ドラマを観てい
るのと同じ感覚だ。

記事は、被疑者たちが謝罪の言葉を言わないことを書いていながら、言わない理由を書
いていない。

週刊文春』の最新号には書いてある。他の週刊誌にもたぶん書いてあるだろう。これを
読むと、野口さんはかなり転落した生活を送っていた。それを、高校の同級生だったアル
バイト少女(18)が親切心から助けてくれた。それなのに、野口さんは裏切った。この年
齢の子たち同士だったら、かなり険悪になることは予想できる。

記事は犯人側だけが悪いかのような書き方になっている。これでは、読者はまちがいなく
誤導される。ただ、報道が、川崎中1殺人事件のように被害者の素晴らしさを書いていな
いから、読者は「この子も問題がありそうだね」くらいは考えるだろう。

≪当初、野口さんは高校の同級生だったアルバイト少女(18)以外とは面識がなかった
とされたが、井出容疑者とも面識があったことが判明。捜査本部によると、友人宅で会っ
たことがあるという。その場に少女も同席しており、当時は仲のいい友人だったが、その
後、関係がこじれたらしい。金銭トラブルがあったともされ、捜査本部は詳しい状況の確
認を急ぐ。≫

週刊誌記事に比べると、ほとんど中身がない。警察発表だけで書いているからだろうか。
どういうことをすると、親しくしていた人に猛烈に恨まれ、殺すことにまで至ってしまうか。
週刊誌記事で十分だとは思わないが、新聞記事に比べるとはるかに役に立つ。被害者
を貶めるためではなく、同じような展開で同じような事件が起こらないようにするために、
事件の背景を知ることには意味があるのだ。被疑者の謝罪には意味はない。