イスラム教徒の監視は正しい!・・・か?
公安警察がイスラム教徒を監視していたことが発覚した事件で、5月31日、最高裁は、上告棄却決定を
出した。一審、二審の、「テロ防止のためにやむを得ない」と判断を支持したことになる。
これで、これからの収集にお墨付きを与えたことになる。
なんという時代錯誤の判断をしたことか。イスラム教徒という程度のメルクマールで個人情報を収集して
もテロを防げないことは明らかだというのに。ただただ呆れる。
こんな情報収集をして仕事をしたつもりでいるようでは、公安警察の能力だって高くならない。
それはともかく、だ。
この結末は、東京地裁への提訴時から予測できた。
原因は2つある。
1つは、原告を1つの原告団にまとめ、弁護団として取り組むことができなかったことだ。原告ひとりひとり
に弁護士がつく、連合体のような関係。そのため、原告全体で何を目標に裁判をするか、そのためにどう
いう戦い方をするかという点について、統一できなかった。全原告が全国各地で弁護団と被害を訴える街頭宣伝や市民集会を展開するという活動をしていなかった
ため、日本社会で理解者を広げることができなかった。
また、憲法の保障する信教の自由、思想信条の自由に対する侵害として、仏教会やキリスト教会など他の
宗教団体にも理解と支援を広く求める活動もしていなかった。
これらを精力的に行っていたら、全く違った展開になったかもしれない。少なくとも、日本社会に与える影響
は大きかったに違いない。
もう1つは、個人情報の収集の違法性だけに焦点を絞らず、漏えいの違法性を問題にしたことだ。この論
点を加えることで、「収集すること自体が許せない」というメッセージ以外に、「収集するのはいいけど、し
っかり管理してくれないと困る」というメッセージが加わってしまう。
お陰で、裁判所は「漏えいの方だけ原告を勝たせれば十分だろう」という判断に流れやすくなった。
私は、違法収集だけを問題にすべきだと考えていた。しかし、それは全面敗訴のリスクを高めることになる。
これに対して、漏えいを問題にすることで、被告側が適正管理義務を果たしていたことを証明できないかぎ
り、原告側は一部勝訴できる。原告が賠償金を貰うことと、個人情報の収集をさせないことと、どちらに力
点を置くか。ここがまとまらなければ、漏えいを問題にして、一部勝訴を狙うということにならざるをえない。
そこを裁判所に見透かされた感がある。
「公安警察が悪い」「裁判所が悪い」と非難するだけなら簡単だ。
が、それを打ち破るのか、それができないなら、その現実を前提になにをするかを明確に位置づけなけれ
ば、個人的な損害賠償請求事件でしかない。
日本社会のあり方を問う裁判にして欲しかった。