16歳の命を奪った81歳のドライバー

高齢者が運転する車で小さな子どもや若い人たちがはねられ死亡する事故が、いま、日々、
当たり前のニュースになってきている。

産経ニュース2016.11.17 10:25更新
≪「人生のすべてだった聖菜(せいな)に会いたい、返してほしい」。昨年12月、さいたま市
浦和区市道で公立高1年、稲垣聖菜さん=当時(15)=が車にはねられ死亡した事故で、
自動車運転処罰法違反(過失致死)罪に問われた高齢男性の論告求刑公判が16日、さい
たま地裁(古玉正紀裁判官)で開かれ、母の智恵美さん(47)は意見陳述で、娘の命が高齢
ドライバーの不注意で奪われたことへの怒りをあらわにした。≫

被害者は15歳。

≪男性は同区の無職、河内節二被告(81)。起訴状などによると、昨年12月23日午後2時
35分ごろ、乗用車で渋滞待ちをしていた車に追突、さらに車道脇を歩いていた聖菜さんに衝
突し、胸部大動脈破裂で死亡させたとしている。≫

加害者は81歳。

≪智恵美さんは意見陳述で「自慢の娘で、本来なら部活動、勉強、おしゃれも恋も充実した
日々を送っていたはず」と無念さを語り、事故当時を「記憶にない」と話す被告について「犯し
た罪を実感できる環境を強制的につくってほしい」と実刑を求めた。父も「私たちの命を奪わ
れたも同然」と現在の心情を訴えた。≫

加害者は、概ね円満なごく平凡な人生を81年送ってきて、今回、始めて犯罪を犯したのかも
しれない。その人が被害者遺族から、「犯した罪を実感できる環境を強制的につくってほしい」と言われる。「犯した罪を実感できる環境」とはなにか。「犯した罪」が人を死なせてしまった罪
であることからすれば、死刑ということか。それは、将来の問題として、法改正をして実現され
るべき刑罰なのだろうか。

≪検察側は論告で、聖菜さんに向けてハンドルを切った河内被告を「歩行者に注意しようとい
う意識自体がなかった」と指弾、禁錮2年6月を求刑した。河内被告は「自分が犯した罪の重さ
に申し訳ないとしか言いようがない」と謝罪した。≫

検察は、「歩行者に注意しようという意識自体がなかった」ことを指弾したのか。それは、被告
人が冷血な極悪人ということか。検察官が懲役刑ではなく禁固刑を求刑していることからする
と、冷酷な極悪人という扱いではない。

被告人は、「自分が犯した罪の重さに申し訳ないとしか言いようがない」と謝罪したとあるが、
言葉で表現するとこのようにしか言えないと言っているだけで、謝罪しているのではない。マス
コミは、悪いことをした人に対してすぐに謝罪を求めたがる。謝罪したことがさも重大事ではあ
るかのように。しかし、謝罪の言葉などどうにでもなる。マスコミの記者たちに向かって謝罪し
て、それがマスコミに適当にまとめれて記事として被害者側に届くというのはおかしいし、裁
判官に向かって、「申し訳ありませんでした」と言ったところで、それは刑事裁判用の量刑を
気に掛けたものでしかない。本当に申し訳ないと思う気持ちは亡くなった本人とその両親だ
けに向けた言葉の中にしか込めることはできない。

≪公判後に取材に応じた智恵美さんは「能力がないのに運転していることがおかしい、という
世の中になってほしい。そうじゃないと聖菜が浮かばれない」と、高齢ドライバーによる事故が
相次ぐ現状に涙をこらえながら語った。≫

マスコミは遺族のこういう言葉を取り上げたがる。こういう言葉は一般の人々の心情に訴え易
い。しかし、刑罰制度はリンチ(私刑)ではない。感情、心情に流れてはいけない。遺族がこう
いう言葉を発するのは止めようがない。このような言葉を受け止める側が理性的でなければな
らない。

≪聖菜さんの友人らは事故後、75歳以上の高齢者に運転免許証更新を毎年課すことなどを
求める署名活動をインターネットで行っている。詳細は智恵美さんのブログ(seina.jp)で紹
介されている。≫

解決策にはならないとしても、いくらかの改善策にはなるかもしれない。それで救われる命は
あるだろう。