韓国・最高裁判決に疑問

毎日新聞 2015年11月12日 21時38分配信記事によると、
≪韓国の旅客船セウォル号沈没事故で、同国最高裁は12日、乗客の救助活動をせずに
船から逃げたとして殺人などの罪に問われた船長イ・ジュンソク被告(70)を無期懲役とし
た2審判決を支持し、被告、検察双方の上告を棄却する判決を言い渡した。イ被告に殺人
を適用した判決が確定した。≫

この事件。一審判決は殺人罪については無罪とした上で、遺棄致死罪などで懲役36年
を言い渡していた。
当時、私は、判決を正当と評価した。
なぜなら、当時の状況をみれば、救出活動にこそ様々な不手際があった。船長が如何に
無責任な人物であろうとも、救出活動が迅速適切に行われていれば、かなりの人、ほと
んどの人、すべての人を救うことができたかもしれない。その可能性はあった。それがで
きなかったのは船長の責任ではない。

光州高裁は、一審判決を覆して、死刑判決を言い渡していた。

最高裁は判決で、イ被告は脱出を命じる放送をするなど救助措置を一切取らずに先に
逃げており、乗客が死んでも構わないとの「未必の故意」があったと判断した。最高裁
よると、救助義務違反への殺人罪適用が確定したのは韓国で初。≫

この事実認定はどうだろうか。
判決は、「イ被告は脱出を命じる放送をするなど救助措置を一切取らず」と認定している
が、救助船が続々と到着している状況ならともかく、そうなっていないときに傾いた船の
デッキに多くの人が出るのは危険だったのではないか。

≪イ被告は沈没前、船内で待機するよう放送で乗客に命じた≫という。それは救助船が
続々と到着すれば、混乱なく救出活動ができたのではないか。
救助活動が迅速を行われないことは、イ船長はどれほど事前に知っていたのか。イ船長
は救助活動が迅速に行われないことにどれほど加担していたのか。
イ船長が逃げ出した時点で、多くの乗客が死ぬことを予見していたと言えるか、予見を
超えて、「死んでも構わない」とまで考えていたと言えるか。

イ船長が放送したまま、船長の立場を隠して乗客を装ってさっさと逃げ出したことは、
その人間性、責任感の欠落ぶりに呆れる。
しかし、そのような感情を抱くことと、国家がイ船長の行為ついて殺人罪の成立を認め
るべきかは全く別の次元の問題である。そう割り切らなければいけないのが、法律の世
界の窮屈さであり、同時に正当性を維持できる根拠でもあるのだ。

高裁、最高裁の判断は法律家の判断ではなく、世論に迎合した政治的判断だ。

他方、読売新聞 11月15日(日)11時17分配信記事
長崎海上保安部によると、15日午前7時35分頃、長崎県西海市・江島沖の海上で、
九州商船長崎市)の客船「ビッグ波羅門キング」(19トン)から出火し、約2時間後、沈
没した。
船には乗客6人を含む9人が乗っていたが、近くにいた漁船などに救助されて無事だっ
た。けが人はいないという。≫

海難事故は救助活動が如何に迅速に行われるかだ。