報道の自由について

先週、10月5日、滋賀県大津市で開催された日弁連人権擁護大会シンポジウム第2分科会
「情報はだれのもの?」では、エドワード・スノーデンの対談があるということで、たくさんの弁
護士、記者、市民が900人くらい集まりました。
わたしはこの企画準備に関わっていて、この日も、「報道の自由について」と題して簡単な報
告をしました。以下はそのときの報告内容です。


ノーム・チョムスキーアメリカの言語学者で、詳細な事実を鋭く分析し、アメリカ政府の政策
を厳しく批判し続けている人として世界的に有名な人ですが、その著書『メディア・コントロー
ル 正義なき民主主義と国際社会』(
集英社新書)の、冒頭、「メディア・コントロール」の章は、
「メディアの役割」
で始まります。

そこで、チョムスキーは、民主主義社会には2つの概念があると説明しています。

1つは、一般の人々が自分達の問題を自分達で考え、その決定にそれなりの影響を及ぼす
ことができる手段を持っていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会

もう1つは、一般の人々を社会の問題の意思決定に関わらせてはならず、情報へのアクセス
は一部の人間の間だけで厳重に管理しておかなければならない社会
です。

後者が民主主義社会だという説明に、疑問を感じる人が多いと思います。
しかし、チョムスキーは、これも民主主義社会の1の概念だと言います。

私たちが暮らしている民主主義社会はどちらなのでしょうか。チョムスキーは、後者だと言いま
す。

そこでいう民主主義社会は、ごく少数の人間が、現実とは異なる「必要な幻想」を作り出して、
人の感情に訴える「過度の単純化をした情報を提供して、大半の人間の思考をコントロール
する社会です。組織的宣伝によって、人々が望んでいないことについても、同意を取り付ける
ことができるのです。
ワイマール憲法下でヒトラー政権を生んだドイツも、マッカーシズムが吹き荒れたアメリカも
民主主義社会でした。
チョムスキーは、そのときだけではなく、いまのアメリカも同じだと言います。
そして、それを支えているのがメディアだ、というのです。

日本の政治状況はどうでしょうか。
聞こえのいい言葉で「幻想」が作り出され、人の感情に訴える「過度の単純化」が行われて
いる
と思ったことはないでしょうか。

分科会のタイトル「情報はだれのもの?」は、自分の情報が自分のものでなくなっている、公的
情報が主権者である国民のものでなくなっていることに対する問題提起です。

この事態を逆転させる必要があります。
その方法は、情報公開制度と公文書管理制度です。
しかし、市民ひとりひとりがこれらの制度を意欲的に活用したとしても、公表できる分野や課題、
継続的取り組みは高が知れています。
様々な重要課題について私たちが問題状況を継続的に的確に知るには、報道の自由の強化
が必要不可欠です。

報道の自由の強化の具体的内容は、調査報道の充実です。
日々の30行、40行の発表記事では背景や本質を理解し考えることはできません。読者がじっ
くり読んで考え込むような丁寧な記事
が必要なのです。

基調報告書では調査報道の実例を紹介しています。
国内では、リクルート事件北海道警察捜査費裏金追及、イラク派遣、陸上自衛隊「別班」、加
計学園問題、海外では、スノーデン氏の内部告発パナマ文書です。
取材過程を詳しく書きました。調査報道の取材現場の大変さ、難しさを実感してもらうためです。

調査報道記事を書くのはたいへんです。
北海道警察捜査費裏金追及では、1年半に及ぶ長期間の報道後に起こった、道警OBによる凄
まじい反撃についても説明しています。詳しくは、当時、担当デスクだった高田昌幸さんが書い
『真実 新聞が警察に跪いた日』(角川文庫)を読んでください。

イラク派遣、「別班」報道は、防衛省の内部情報に基づく記事です。
どちらも政府としては国民に知られたくない情報だったはずです。しかし、記者たちは国家公務
員法違反にも特定秘密保護法違反にも問われていません。なぜでしょうか。取材と公表の過程
をみると、隙のない万全の準備をしています。

スノーデン氏の内部告発が世界に発信されるまでの過程で様々なトラブルが起こっていました。
それを乗り越えての世界発信はジャーナリストたちのタフさ、連携の重要性を痛感させられます。

パナマ文書報道は、内部告発先であった南ドイツ新聞だけでは到底実現しませんでした。世界
中から約80カ国、100を超えるメディア、400人近い記者が連携して実現しました。本日のパ
ネルディスカッションのゲストの1人、共同通信の澤康臣さんは日本から参加した数少ないメン
バーです。なぜこのようなことができたのか。詳しくは澤さんの著書『グローバル・ジャーナリズ
ム 国際スクープの舞台裏』(岩波新書
を読んでください。

調査報道の成功は記者の誇りです。
諸外国では記者は独立したジャーナリストです。調査報道の成功を“勲章”にして、他社に移っ
ていき、ジャーナリストとして成功して行きます。そこには、調査報道に力を注きたくなる動機付
けがあります。

これに比べて、日本では、新聞記者は1企業に就職したサラリーマンです。定年まで同じ会社で働くことを予定しています。そのような記者にとっては会社内の評価が重要
です。社内社外からの批判で炎上するかもしれない調査報道よりも、全社横並びの発表ジャー
ナリズムの方が、記者にとっても会社にとっても無難です。
ここに質の高い調査報道が生まれにくい素地があります。

それでも、記者の仕事をしている以上、世の人々に「いい記事だ!」と褒めてもらいたい気持ち
はあるはずです。カッコいい調査報道記事を書けば、家族にも自慢できるかもしれません。

基調報告書では、日本でも調査報道が生まれやすくなるための具体的な提案をしています。パ
ネルディスカッションでもこの点の話が出てくるはずです。

ご清聴、ありがとうございました。