出所者のセルフヘルプ

月2回(1日、15日)、路上販売されている『ビッグイシュー
の213号の特集記事は「出所者のセルフヘルプ」。刑務所の出所者
が出所後、お互いに助け合って行こうという仕組み。


読んで納得。犯罪捜査、刑事裁判、刑務所、保護観察に対して
ずっと思っていた疑問に解決の糸口がみえた。


警察と検察の犯罪捜査は、ひたすら犯罪事実の確認だけ、犯罪を
繰り返す奴は困った奴、くらいにしか考えていない。
刑事裁判官は、警察・検察がつくったストーリーと証拠を鵜呑みに
して、上から目線で、被告人に「深い反省」を一方的に要求し、
量刑相場に基づいて判決を言い渡すだけ。
弁護士は、起訴猶予になったらいくら、執行猶予になったらいくら
と、お金のことばかり考えている刑事弁護専門の弁護士が跋扈して
いる。真面目に被告人のことを考えている弁護士もいるのだろう
けれど、そんな存在はわずかだろうし、捜査段階でも裁判所でも
ちっとも評価されない。
かくして、犯罪者にとって刑事裁判は犯罪者の更生に役立って
いない。


刑務所は基本的に命令する側と従う側にはっきり二分した閉鎖社会
だから、受刑者に主体的な責任感は育ちようがない。外に出たその
日から責任ある行動をしっかりできるはずがない。
保護観察はどうしてもお役所仕事、上から目線の監視になる。犯罪
者が社会に出て問題を起こさないかどうかに関心が集まり、生活の
質にまでは目が向かない。犯罪的行動が目に付かないかぎり、問題
があるという評価判断にはならない。


こうなると、刑事裁判は、犯罪を犯さない側の者にとって、自分たち
は絶対的な安全圏にいて(と思い込んで)、一方的に犯罪者を断罪
する儀式に過ぎない。犯罪を繰り返している者は刑事裁判が儀式で
あることをとっくに見抜いている。


犯罪を少なくしたいと本気で考えるのなら、なぜ犯罪が繰り返される
かという問題を、ひとりの人間の人生の問題として考える必要がある。
どうすれば犯罪を思いとどまれたのか、どうすれば犯罪を思いとどまれるか。
これは薬物依存の問題と同じ。当事者がしっかり考えることを出発点
にする必要がある。そして、理解し合えるのは、犯罪者同士。


これまで、犯罪者は出所後、刑務所の中で知り合った者と会うと、
一緒になって犯罪を犯しかねないから、会ってはいけな、付き合って
はいけない、と言われてきた。


一見、ごもっとも。
しかし、では、出所者は出所後、だれと親しくすればいいのか。だれに
自分の辛い思いを告白することができるのか。そういう人間関係を作
らずに、どうして自力で更生できるのか。できるはずがない。


真の理解者は同じ体験、似た体験をした者同士。であれば、刑務所に
入った者同士ということになる。彼ら彼女らがどうすればお互いに率直に
話し合い、助け合えるようになれるか。それを周囲が理解し、サポート
する環境がつくられていけば、犯罪を繰り返す人は確実に少なくなる
だろう。それは取りも直さず、本人にとっても本人の周囲の人にとって
も良好な生活、人生を獲得できることに繋がっている。


監視カメラ(=人間監視)で犯罪が減らないのは当然だ。