情報保全諮問会議の委員を引き受ける

1月10日付で日本弁護士連合会・秘密保全法制対策本部の委員を辞任した。当然、事務局長でもなくなった。
「秘密保護法案が成立したことについて事務局長として責任を取れ!」と日弁連組織内で吊るし上げに遭い、詰め腹を切らされた結果。ではない。

特定秘密保護法第18条の規定に基づいて設置されることになった情報保全諮問会議の委員を引き受けることにしたからだ。日弁連では、当然のことながら、秘密保護法の施行に反対する立場である。その対策本部の事務局長や委員のままで諮問会議の委員になるのは、日弁連にとっても政府にとっても???と困ってしまうかな、ということだ。

法案成立後、政府側に寝返った?・・・!
ちがいます!

昨年9月に秘密保護法案の概要が公表された直後に、公明党自民党に出かけて法律案概要の問題点を詳しく説明した。内容はブログに書いてきたようなことだ。要は、重要な情報を厳格に管理したいという考え方は理解できないではないが、この法案の制度設計がよくない、というものだ。どちらでも参加議員の反応は「おもしろい!」というものだった。また、BSフジで町村信孝議員、磯崎陽輔議員、TBSラジオで磯崎議員、TBSテレビで中谷元議員、BS日テレ猪口邦子議員と討論し、そこで議員の意見に同意できる部分が同意したが、反論すべき点ははっきり具体的に反論をした。番組自体、議論が噛み合っておもしろかった。周囲にいた番組スタッフも満足げだった。そして番組終了後、議員からは必ず、「おもしろかった」という感想をいただいた。
法案がどうなろうとも、今後もこの人たちとは話ができると思った。

与党議員の反応から、わたしは、秘密保護法案は廃案になるかもしれないという期待を抱いた。他方で、官僚にとって既定路線になっている秘密保護法案を廃止にするのはとてもむずかしいとも思っていた。

国会の特別委員会の審議では、期待していた以上に新聞やテレビが秘密保護法案を批判的に取り上げてくれたこともあってか、法案を通そうとする立場の与党議員も意味のある質問をしてくれていた。日弁連が全政党に対して法案の問題点を具体的に指摘したことが、この成果に結び付いたと実感した。

残念ながら、法案は成立してしまった。
法案成立反対だけが目的であれば、ここで日弁連の活動はおしまい。

「勝てば官軍。負ければ賊軍」的な反対運動は、所詮、ギャンブルだ。
実務的にはこれでおしまいではない。それどころか、法律を施行するには様々な問題に対処しなければならない。そのことを国会議員は審議を通じてはっきり認識するようになっていた。本当の始まりはこれからなのだ。

わたしが所属する日弁連・情報問題対策委員会では、この準備過程こそが重要だと位置づけていた。
強く反対していた法案が成立してしまったとき、これを廃止にしたいという考えをもつのは当然だ。しかし、同時に、実務的には、一旦成立した法律はほぼ100%施行されるのだから、施行されたときに、反対者として懸念したことがなるべく起こらないようにしたいという思いがある。

そんな思いからわたしは、受けた電話に、日弁連執行部に「委員になっていいですか?」と質問した。わたしと活動をともにしてきた執行部は、わたしが自民党公明党などにどのようなことを言って来たかを十分に知っている。即座に「いいですよ」という返事が返ってきた。「そうすべきだ」とも言ってくれた。

わたしからは、法律の条文では「識見を有する者」の意見を聞くとなっているから合議制ではなく、個人として意見を出すことができることを確認した。合議で多数決で意見をまとめる方式だと、わたしの意見はまったく反映されない可能性がある。それなら委員になる意味がない。
また、諮問会議の議事録は実名で作成してほしいとお願いした。担当者からは、議事録を作成し、議事要旨を公表する、議事録については情報公開請求があれば一部非公開になるかもしれないが公開することになる、という答えがあった。わたしは、発言の重要性からして発言者名も公表・公開すべきではないかとお願いした。このあたりになると、諮問会議で検討することになるらしく、確答はなかった。発言者の氏名の公表・公開にこだわったのは、諮問会議で孤立無援になったときに自分の発言が後からだれにでもチェックされ批判されるようになっていることで、常に自分に圧力をかけておきたいと思ったからだ。

諮問会議には、国民主権国家における公的情報の適正な管理のあり方の問題として取り組んで行きたい。
日弁連の秘密保護法対策本部の委員を辞任した代わりとして、それ以上に成果のある仕事をしたいと考えている。