「死刑!」の大合唱が聴こえない

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に入所していた19人が殺害され、職員3人を含む27人が重軽傷を負った事件は、昨日、発生から3年を迎えた。殺人罪などに問われた植松聖被告(29)に対しては、当初から死刑判決を望む声が社会に蔓延していた。

 ひどい事件にちがいないが、植松被告に対する死刑判決とその後の死刑執行が一体社会の何を解決するのかということを考えると、植松被告に向く社会の最大の関心が「死刑執行」でよいのか疑問を抱く。

 

 ところが、最近、京アニで起こった放火殺人事件の報道では、京アニのアニメに救われた人々の感謝の声が多く取り上げられているが、彼らから青葉真司被疑者(41)に対する「死刑!」の大合唱が出て来ない。報道でカットしているだけなのか。

 

 アニメ映画をほとんど観なくなっていたわたしも、『聲の形』(2016年)を観て、なかなかよくできている作品だったなあと思い出す。そういう思いを抱きながら、この作品を作った人たちの命を一瞬にして奪った人の方に顔(思考)を向いたとき、「お前は死ね!」「死刑にされて死ね!」という言葉が出ない。どうしても、出にくい。なぜなのか。京アニのアニメは、ダメな人間、弱い人間を否定しない。非道極まりない青葉被疑者はどう位置づければいいのか。亡くなった人たちが自分を殺した人間に聲を発することができるとしたら、「お前は死ね!」「死刑にされて死ね!」という大合唱になるのだろうか。わたしにはわからない。